喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

1杯め 開店しました

 初めてコーヒーを飲んだのは8歳の冬だった。

 なんて書き始められれば格好がつくのだろうが、本当のところは覚えちゃいない。

 母の方針だったのか、我が家では小学生がコーヒーを飲むことが禁じられていた。となればおれの初コーヒーはおそらく中学1年のときだったのだろう。
 家にはドリッパーなどの気の効いたものはなかったはずだから、まちがいなくインスタントだ。それも、最近のような大粒のものではなく、細かい粒のやつ。角砂糖を3つくらい放り込んで、クリープもたっぷり入れて、苦味を甘さでごまかしながら飲んだのだと思う。ああ、いまでも砂糖をスプーンでいれるのに「いくつ?」と聞く人がいるね。匙なら単位は"杯"でよさそうなものだが、昭和中期のコーヒー文化の尾てい骨のようで、恥ずかしいようなくすぐったいような、妙な気分になる。
 たぶん、最初のコーヒーをおれはおいしいと思わなかったはずだ。たいていの人のコーヒー初体験がそうであるように、"大人の味"と思って我慢して飲んだのだろう。背伸びの味。


 それから30年以上の時間が経って、いまでは自分で生豆を焙煎し、気分によって抽出方法を変えてコーヒーを飲んでいる。ほぼ毎日飲む。多い日は7〜8杯飲むし、飲まない日があっても2日続くことはまずない。


 豆の種類や焙煎の深さ、淹れる方法による味の違いも、そこはかとなくわかるようになった。
 しかし「本当においしいと思って飲んでるのか?」と自問すれば、即答できない。好きである、とは言えるのに、おいしいかどうかがいまだにわかっていない。
 うまく焙煎できたとか、ちょうどいい感じに淹れられたとか、部分の評価はできるが、おいしいかどうかは、じつはいまだに湯気の向こう側なのだ。おいしさだけなら牛乳のほうが何倍も上だと思う。
 つまり、いつまで経っても、いくつになってもコーヒーは"背伸びの味"なんだ。


 それでいいじゃないか。