喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

21杯め 追悼 春一番

 春一番が死んだ。

 暖かくて柔らかな、ゆったりした感じの本名だったよな、と思いながら訃報を読むと、春花直樹というらしい。ああ、それで春一番か。

 ファンでもなかったし、とくに注目していたわけでもない。
 でも、気になる芸人ではあった。


 おれはかつてクソまじめな猪木ファンでだった。
 春一番による猪木のマネに「この人は違うな」と思ったことを覚えている。それまでの猪木モノマネとはちがう、という意味だ。
 原型を広めたのは石橋貴明と思っているが、猪木のマネといえば、拳を握ってアゴを付きだして「あんだこのヤロー」と言うだけの、大学生のコンパ芸レベルのものしかなかった。
 春一番は違っていた。「こいつ、本気で猪木を見てるな」。

 

 クソまじめなプロレスファンというのは厄介なもので、レスラーの言った一字一句にこだわってしまう。
 たとえば有名なラッシャー木村の「こんばんは、ラッシャー木村です」。いわゆる『こんばんは事件』。
 あれ、1981年の田園コロシアムでは「こんばんは、ラッシャー木村です」とは言っていないのだ。
 「こんばんは」の挨拶はたしかにあった。それが新しい抗争の幕開けを期待する観客を白けさせたのは事実だが、「ラッシャー木村です」はビートたけしがキャッチーなフレーズになるように後付けしたものだ。
 おれは田園コロシアムでその場面を生で見ていたし、観客席にウォークマンを持ち込んで録音までしていたから、まちがいない。

 しかし世間には「ラッシャー木村です」がついた形で広まった。

 ラッシャー木村自身も著書の題名を『こんばんはラッシャー木村です』にしていたように記憶している。
 いまにして思えば、たけしがもし「ラッシャー木村です」を付け加えなかったら、のちの木村のプチブレイクもなかったのかもしれないが。

 おれのようなリテラリズムのプロレスファンは、その「こんばんは」に引っかかりを感じてしまう。勝手なものをくっつけて通りのいいようにしやがって。
 このあたりの、幼いとも言える感覚に、春一番も捕らわれていそうに思えた。

 いま、猪木のマネといえば定番は「元気ですかー」と「1.2.3、ダー!」だが、昔の猪木は「1.2.3」などと言ってはいなかった。

 終了のゴングが鳴る。猪木自身が鎮めることができない試合の興奮。それにどうにかしてピリオドを打とうとする叫びが「ダー!」だったように感じていた。何かをまとめるのではなく、何かを振り切るための雄叫びであった。


 猪木が初めて「1・2・3」が頭についたダー! を披露したのは1990年の後楽園ドームの試合後だった。客席は失笑したが、反射神経のよい者は即座に乗っかった。このときから雄叫びは「ご唱和」するものに変わった。
 おれは「猪木、これまでありがとう。さようなら」と思いながら頭を下げた。

 

 春一番は猪木のマネをするときに「1・2・3」をつけていたが、そこには様々なアレンジが加えられていた。
 それは笑いを取るための方策ではなく、「ほんとうはこんなの付かないのに」という春一番の気持ちを処理するための目眩ましと感じられた。

 猪木のマネをする芸人は何人かいるが、お笑いとしての正解にもっとも近いのはアントキの猪木だろう。猪木の明るい部分だけをすくい取って、リズミカルに軽く見せる。
 春一番は、あまりにも本気で猪木を見つめ過ぎたために、暗さや闇にまとわりつかれてしまったように感じる。
 猪木はまちがいなくスターだ。しかしもうひとりの「燃える男」長嶋茂雄と比べると、あまりに暗い。

 ジャイアント馬場、プロボクシング、そして世間。コンプレックスだけを材料として燃え続けてきた猪木には、灰よりもさらに暗い影がつきまとう。


 お笑いには向かないリテラリズムで猪木を写し取ろうとしたのであれば、春一番から陰気さが滲んでしまうのは、むしろ勲章なのかもしれない。
 ただし。太陽を見続けた人はひょっとしたら星になれるかもしれないが、穴を覗き込み続けたら、引き込まれるしかないのだ。
 どんなに止められても酒を飲まずにいられなかったのも、わかる気がする。

 そして「酒をやめれば一生つかってやる」と言ったのがビートたけしというのも、どこかプロレス的だなと思う。

 

 おれが勤めていた会社のある部署が、撮影のために春一番を呼んだことがあった。
 楽屋となった会議室の近くに、テレビで見ていたよりもずっと痩せてしまった春一番がいた。「猪木が好きすぎて、猪木に生命力を吸い取られている」なんて言われていた頃だ。
 挨拶すらせずに、おれは(死なないでね)という気持ちで「がんばってください」とだけ言った。春一番は真顔で、春花直樹の声で「ありがとうございます」と答えた。

 

 その数年後、こんどは会社がアントニオ猪木本人を呼んだ。
 プロレスファンの多い会社だったので、当日の社内は浮き足立っていた。
 おれがこの会社にアルバイトとして席をもらったときのひとつの目標が「いつか猪木に会うこと」だった。
 しかし、会いたいと思っていたのは雄叫びの猪木であって「ご唱和」の猪木ではなかったから、撮影を覗きに行くことはなかった。

 

 春でも冬でもなく、梅雨に逝った春一番
 それが似合っているように思える。合掌。