19杯め 予知夢を見た話
死後の世界や幽霊の存在をまったく信じていないが、現代の科学が万能だとも思っていない。
不思議なことはいくらでもあるし、おれの身の回りにもよく起こる。
はっきりした予知夢を見たことがある。
2年前の7月に、4日間の検査入院をしたときの、最後の夜のことだ。
おれは6人部屋の患者だった。通路を挟んで3つずつ振り分けられたベッドの、北側のまん中がおれの場所だった。各々のベッドはカーテンで隔てられていて、個室のような空間になっていた。
おれの左隣のベッドは空いていた。右隣のベッドの患者は話し好きで賑やかな初老の男だった。悪い人ではなさそうだったがとにかくよくしゃべる。
声を出さないと呼吸ができないのかと思うほどしゃべり続けている。カーテンを隔てていても、隣のおれになにかと話しかけてくるのが煩わしかった。会話に積極的に応じる気分にもなれず、ええ、まあ、などと、適当な相槌を打ってやり過ごしていた。
寝て起きれば退院という夜。妙な夢で目が覚めた。
警察官に事情聴取されている夢だった。おれが何かをしでかしたわけではなく、参考人のような立場だった。
犯人でも被疑者でもないから詰問されることもなく、調書を取る警官の物腰は丁寧だった。「ほかに何かお気づきのことはありませんか」。
午前3時ごろ。おかしな夢を見たもんだ、と思いながら目が覚めた。事情聴取の夢など初めてだったから。
隣のベッドから「お母さん、ごめんなさい」という声が小さく聞こえた。昼間はあれほどやかましかった隣の男の寝言のようだった。寝てしまえばかわいいもんだ、と思いながら、おれは再び眠りに落ちた。
入院患者の起床時間は6時だが、翌朝はそれより早く起こされた。
3人組の看護士が「ごめんなさいね、朝早くから」と詫びながら、入院患者の引っ越しを始めた。よほど急いでいたらしく、寝たままの患者を載せたベッドごと引越し先の部屋にゴロゴロと運ばれた。
本来の起床時間の6時になるまえに、同室の患者はすべて他の部屋に移された。いや、正確には「ひとりを除いて」だと後にわかるのだが。隣のおしゃべり男と「どうしたんでしょうね」と話していると、看護師長から説明があった。
ほんの数時間まえに、同じ病室の患者がカーテンレールを使って首を吊って死んだという。
現場の保存のため、そして自殺者が出た部屋に入院患者をそのままにしておけないからという理由で、早朝の部屋替えが強行されたのだ。
その患者のベッドは、おれのはす向かいだった。おしゃべり好きな男の、通路を挟んだ向かいのベッドである。
ああ、そうか。夜中に聞いて、隣のおしゃべり男の寝言だと思ったのは、自殺者の最後の言葉だったのか。お母さん、ごめんなさい。
1時間ほどすると警察官がやってきた。
相部屋の患者がひとりずつ別室に呼ばれて事情聴取をされた。
おれは自殺した患者と言葉を交わしたこともないし、顔すら見たことがなかったが、「お母さんごめんなさい」のことだけを伝えた。その情報に対して、警察官が食いついてくることもなかった。
ドラマとはちがうんだな。