喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

9杯め コーヒーを家でおいしく飲むための2つの方法


 コーヒーは農作物だから、その品質は栽培地の環境や収穫時期、生豆の選別・乾燥のための処理方法などに左右される。
 生豆がカップを満たすコーヒーとなるには、さらに焙煎、保管、粉砕、抽出と、じつに多くの関所を通る必要がある。とくに焙煎という、コーヒーならではのプロセスが一般人にも開放されている点が、コーヒーを楽しくし、難しくもしている。

 「コーヒーをおいしい、まずいで語る時代は終わった。コーヒーは良い、悪いで語るべきだ」なんて意見もあるし、ふたりの高名な専門家が抽出時の豆の温度について、たった1度の差を巡って激論を交わしたこともあるという。
 とにかく、コーヒーは複雑であり、その複雑さのぶんだけ楽しい。興味のない人にとってはどうでもよい問題が、知れば知るほど、掘れば掘るほど出てくるのがコーヒーの世界だ。余人の目にはガラクタにしか見えないかもしれないけど、膏にも肓にも病が染みついてしまった当人たちにとっては宝の山である。

 コーヒーの専門家ではないおれも、できれば家でもおいしいコーヒーを飲みたいと思っている。いろいろ試してもみた。結果、誰にでも簡単にできることが2つあると気づいた。

 今回はその方法について書く。おっと、コーヒーに詳しい人は、ここから先は読まなくていいよ。「その程度のことか、常識だろう」とがっかりするだけだから。

 では。
 方法その1は、「飲む直前に豆を挽く」だ。
 この方法を実践するためには、コーヒーを豆の状態で買う必要がある。店の人はたいてい「挽きますか?」と聞いてくれるし、通販のショップでも挽き加減が選べるようになっている。よほどの変人でもないかぎり「うちは豆の状態でしか売りません」とは言わないはずだ。「ネルでドリップする人にしか売りません」って人なら実際にいるけどね。
 挽いてもらったばかりのコーヒー粉が入った紙袋は、じつによい香りがする。幸せの香り、と言ってもいい。でも、香りがするってことは、豆から香りが逃げてるということでもあるのだ。

 飲む直前に豆を挽く。それを実現するためにはミルという道具が必要になる。ミルの種類についても、また、ミルによる引き具合いについても、諸説が飛び交っているが、とにかく「飲む直前に挽く」ことに関しては、異論を唱える人を見たことがない。ファイナルアンサーと言ってよいだろう。

 おれが最初に買ったミルは、メリタの電動ミルだった。通販で豆とのセットになっているものをかなり安く買った。いま調べたら『セレクトグラインド MJ-518』という製品で、実売価格は2000円台のようだ。
 電動式で、内部のプロペラ状の刃が回転して豆を粉砕する仕組み。歯は円運動をするから、中心に近い部分と外側ではカットの具合いも変わってくる。粉を粗挽きにするときは短時間、細かくしたいときは長時間挽くという、なかなか原始的なミルである。挽き具合いができるだけバラけないように、本体ごと両手で持ってシェイカーのように振ってみたりもした。




 プロペラ式は電動ミルとしてはもっともシンプルな機構だし、値段も安い。欠点を挙げつらって「あんなのダメだ」というコーヒーマニアも多いが、おれはいいと思うよ、これで。
 すくなくとも「飲む直前に挽く」という大原則だけは守れるようになるから、プロペラ式のミルであっても、あるとないとじゃ大違いだと考えている。

 プロペラ式をしばらく使っているうちに、ちょっとステップアップしたくなって買ったのがカリタのナイスカットミルという製品だ。




 メリタのセレクトグラインドはプロペラ式だったが、このナイスカットミルはカット式という機構だ。挽き目がダイヤルでカチンカチンと調節できるから、本体をシェイクする必要はない。そもそも据え置き型なのでシェイクするようにできていない。実売価格は2万円弱といったところ。刃の掃除の際には分解する必要があるが、10円玉が1枚あればけっこう簡単。ただし小さなバネがあるので、なくさないように注意することだけがポイントだ。

 ただ、プロペラ式と比べて安定しているとはいえ、おれには「まだちょっとムラがあるかな」と思えたので、コンセントとナイスカットミルの間に調光器を挟んで、パワーを7割ほどの落として(=回転数を落とす)つかっている。
 こいつの欠点は、豆を挽いているときに粉末が飛散すること。飛び散った微粉を掃除するためにブラシと静電気式の小さなほうきをつかっている。

 家庭用のミルには、ほかにも伝統的な手回し式のものがある。おれも1台持っているが、挽き目の調整がめんどうなので(できないわけではない)、観賞用になってしまっている。
 もうひとつ、フジローヤルというコーヒー関係では有名なメーカーが『みるっこ』という電動ミルを販売している。こちらはグラインド式(臼式)という方式で、実売価格は3万円前後。サイズもナイスカットミルより大きい。家庭用の電動コーヒーみるではみるっこが最高峰、とも言われるが、業務用には桁のちがう製品がたくさんあるので(70万円なんてのもある)、ここから先はマニアの世界だと思う。

 とりあえず、おれはナイスカットミルで満足している。

 コーヒーを家でおいしく飲むための方法、2つ目。こっちは安いぞ。
 その方法とは、『シリコーン置くだけラップ蓋』をつかうことだ。1枚100円、ダイソーで売られている商品だ。

 好みにもよるだろうが、おれは冷めたコーヒーがあまり好きではない。
 「いや、冷める過程こそがコーヒーなんだよ」とか「冷めたらまずくなるようでは本物のコーヒーではない」と言う人には、このラップ蓋は不要だ。これは、コーヒーを冷めにくくするための道具なのである。

 コーヒーを冷まさないなめに、おれなりにいろいろ工夫をしてきた。
 まず、カップは真空層のある保温性の高い二重構造のものをつかう。おれがコーヒーを飲むときにつかうのは、金属製のマグカップのときでも、ガラス製のグラスのときでも、「冷めにくいやつ」だ。構造上、カップの縁が厚くなってしまうから、唇の感覚はお世辞にもよいとは言えない。でも、それを犠牲にしてでも、おれは冷めにくいコーヒーが飲みたい。

 保温カップをつかえば、ふつうのカップと比べて中の液体の温度は下がりにくくなるが、それでも上部から湯気とともに温度と香りが抜けてゆく。なんとかしたいと思って最初に試したのが陶器製の『マグカップの蓋』。
 高名な喫茶店で、客がトイレなどで席を立つと、コーヒーが冷めないようにカップにさりげなく蓋をしてくれるところがある。そのマネをしたわけだ。しかし、陶器は割れるのである。喫茶店であれば、こちらにもいくらかの緊張感があるので、蓋を落としてしまうようなことはない。しかし自室で毎日何杯も飲むうちに、蓋を落としてしまうこともある。運が悪ければ陶器の蓋は割れる。おれは3枚目の蓋を割ったときにようやく、この方法は自分には無理だと悟ったのだった。

 つぎに試したのは電気式のウォーマーである。サーバーやカップの底面を直接加熱する道具だ。短い時間であれば、この方法は有効だと思う。しかしコーヒーサーバーを長時間加熱し続けると、なかのコーヒーは確実にまずくなってゆく。ひと昔まえのファミリーレストランのコーヒーを思い出す味になる。サーバーの中で煮詰められた、独特のまずいコーヒー。たまには「あのまずさ」を懐かしく思い出すこともあるが、毎日実感したいほどではない。
 おれが愛用している電気式のコーヒードリッパーには最初からサーバーを温めるためのウォーマーが組み込まれているが、コーヒーを淹れるたびに「余計な機能をつけやがって」と苦々しく思っている。おれにとって「加熱はコーヒーの大敵」なのである。そのコーヒードリッパーを毎日のようにつかっているが、ウォーマーの部分にはコルクのコースターを置いて、サーバーに熱が伝わらないようにしている。

 そして、ついに出会ったのがシリコーン置くだけ蓋。こいつをカップにのせて、まんなかのポッチを軽く押すだけで密着してくれる。その密着力はたいしたもので、ポッチをつまんでカップごと持ち上げても蓋がはずれないほど。おれが使っている金属製の保温マグカップにコーヒーを入れると合わせて600グラムほどになるが、それでも楽々と持ち上げることができた。何度もやると悲惨な事態を招くから、もうやらないけど。




 こいつをつかったときの保温力はかなりのもので、つねに熱いコーヒーを楽しむことができる。「淹れたときより熱いんじゃないの?」と思うことすらあるが、それはカップ内の空間にある湯気のせいだと思う。シリコン製なので、ぞんざいに扱っても割れることはない。唯一の難点は「見た目がねえ……」だが、ひとりで飲むぶんには気にならないし、客人には「おもしろい道具を紹介する」ということで相殺してもらえる程度のことだと思う。
 あ、ふつうのカップなら蓋のサイズはSで十分ですよ。




 以上、ミルとシリコン蓋。
 とりあえず、この2つがあれば、自宅のコーヒーはおいしくなる。と思う。



 
 

 

8杯め イミのシャーペン


 1年ほどまえに初めてビバホームに行った。ホームセンターだ。
 「百均ってなんでもあるなあ」と驚いていたおれが、「なんでもある」の桁がひとつ上がるホームセンターで興奮したのなんのって。

 そのときは本棚用の木の板を10枚ほど、指定した寸法通りに切ってもらい、両手にぶらさげて帰った。だからよぶんな買いものができなかったのだが、ひとつだけ後ろ髪を引かれる商品があった。

 それがイミのシャーペンだ。

 『喧嘩商売』というマンガがある。脳梗塞で入院していたときに差し入れてもらったヤングマガジンでこの作品のおもしろさに触れた。文学と梶原の決闘の回だった。
 それより数年まえに、たまたま連載第一回目を読んでいたのだが、当時は何の魅力も感じなかった。病床で「化けたなあ」と思いながら、何度も読み返した。
 絵はへたくそだ。デッサンがなっちゃいない。しかしストーリーの組み立てかたが緻密かつ巧みで、退院後に全巻を揃えるほど引き込まれた。

 単行本19巻にイミ・レバインが登場する。イスラエル人で、クラヴ・マガという格闘技に通暁した男。このイミが凶器としてシャーペンを使うのだが、それと同じものを1年前のホームセンターで見つけたのだった。













 今日になって、そのシャーペンが無性にほしくなった。ああいった店の品揃えは流動的だろうから、行ったところでお目当てのペンがある保証はない。「なくても泣かないこと」と、あらかじめ決めておいて家を出た。

 ホームセンターまでは家から3キロ弱。自転車なら「すぐそこ」と思える距離だ。しかしおれは自転車をやめてしまったので、歩くしかない。一度タクシーで行ったことがあるが、まったく道を知らない運転手に当たってしまい、おれが助手席に移動してカーナビで検索したあげくに2000円も取られたことがある。
 歩くには遠いと言えば遠いし、近いと言えば近い。いや、近かないね。でも歩く。いまはちょうどダイエットバトルの終盤なので、脂肪を燃やすために大股の早足でずかずか歩いて行った。






 何度か行ったことのある場所なので、さすがのおれも迷わずに着くことができた。こういった、床面積の広い平屋の建物は、アメリカや地方都市にしかないものだと思っていた時期がある。家から歩いて行ける距離にこのタイプの建物があるのが、いまでもすこし不思議だ。






 ホームセンターと平行に首都高速が走っている。高架の下は緑のネットを壁代わりにして、フットサルの練習場になっていた。






 店内に入って文具コーナーに行くと、テプラの替えテープが豊富に取り揃えられていた。なかなかの壮観。いま使っているぶんがなくなったら、また歩いて買いにこよう。






 筆記具のコーナーに行くと、あったあった、ありましたよ、イミペン。
 0.3ミリと0.5ミリがある。はて、『喧嘩商売』に登場したのはどっちだろう。筆記具としてではなく、相手の目を突き刺すための凶器だから0.3ミリかもしれない。しかしおれがつかうのに0.3ミリでは細すぎる。「使わないものは買わない」という生活信条があるので、0.5ミリを選んだ。






 税込みで837円。予想していたよりすこし高かった。
 家に戻ってからじっくり見ると、ペンテルのグラフギアという商品名だ。グッドデザイン賞も取っているようで、定評のあるシャーペンらしい。






 これで目を突かれそうになったら怖いだろうな、なんて思いながら、『喧嘩商売』の絵の上にイミペン、いやグラフギアを置いてみた。






 すこし字も書いてみた。重さがいい感じで、なかなか書きやすい。







 気に入りました。

7杯め イッツ・ア・サンポジェニック・デイ


 台風が来るたびに体の芯がざわざわして、じっとしていられない。ズボンを海パンに履き替え、上半身は裸のうえに赤くて丈夫なレインコートを着る。ボタンもファスナーもしっかりいちばん上までしめる。足は裸足にビーチサンダル。傘など差しても無駄なので手には何も持たない。
 これがおれの台風散歩のスタイルだった。ちょっとした変質者である。心ゆくまで暴雨と暴風のなかを歩いたあとに入る熱い風呂が好きだった。


 しかしいまはリハビリおやじになってしまったので、台風散歩は封印した。昨夜は防音サッシの鍵をきっちり閉めて、台風など来ていないものとして過ごした。
 明けて今朝の空。なんだこれ。台風が去ったあとの空の気持ちよさったら、もう。雨と風が町中の塵芥を洗い流したせいもあるだろう。とにかく、すがすがしいとはこの空のための言葉だと思った。台風一過の過は「くゎ」とルビを振りたい、とか言ってる場合じゃない。 サンパブルとかサンポジェニックとか言ってる場合でもない。

 とっとと散歩に行こう。


 今日は散歩だけど純粋散歩ではない。純粋散歩とは目的なく、ただただぶらぶら歩くことだと考えている。今日は目的地がふたつあるから、散歩としては邪心が混ざっている。でもそれくらいのヨコシマはこの空の下ではチャラどころかお釣りがくらぁ。


 まず環七に出る。環七も清々しいじゃないの、今日は。







 コンビニ専用のスタジオ。知らない人が見たら、いつも閉まってるコンビニと思うだろう。ドラマや映画、CMでの需要が高いようで、「またあそこのスタジオつかってらあ」と思うことが多い。いいところに目をつけた商売だと思う。


 環七沿いにある店のショーウィンドウが気になった。コーヒーの器具っぽいものがあると、つい目が向く。
 変わった形の抽出器具かと思ったら、ジュース絞り器だった。







 中山道を北上する。道路沿いの商店と首都高速の橋脚に挟まれて、歩道がちょっとかっこいい感じになってる。







 散歩の楽しみのひとつに「曲がったことのない路地」がある。ここなんかも、つい入っていきたくなる道だ。霊験水の鎮守さま、だそうだ。でもまだ先が長いので、曲がらず直進。







 かつて『三角商店』というホームページを作ろうとしたことがある。そのくらい、道路の分岐点に残されるように建った店が好きだ。これは三角じゃなくて薄い直方体だけど、周囲をぐるぐる観察してしまった。住みたくはないけどな。







 コーヒーを思わせるデザインが目に入ると、つい立ち止まって見てしまう。コーヒーカップの意匠かと思ったら、ラーメンの丼のつもりらしい。残念。しかしドロップハンマーって、店名から商売が想像できないよ。







 おれは「ため」を漢字で書く奴が嫌いなんだよケッ、と思いながらハナマサ前を通過。













 凸版印刷のなんらかの敷地。小中学校の隣のクラスに凸版印刷の社長の息子がいた。自宅に電話したら「お坊ちゃまはいまテニスコートに」だってさ。
 でも二枚目で性格もよかった。持てる者は全部持ってる、ということを教わった。








 中山道の向こう側に昭和を感じさせる商店を発見。だからってセピアにする必要もないんだけど。








 志村一里塚。








 見上げついでに空をもう一枚。








 今日の第一の目標、小豆沢墓苑。我が家の墓をここに移すことになったのだ。手続きその他はすべて姉がやってくれているが、おれも一度くらいは見ておかないと。
 ビルの中に墓があるという、変わった形態の墓所。壁は2方向が吹き抜けで、天井までの高さが5メートルちかいので開放感がある。昨日のような台風のときにはシャッターを降ろして対処するそうだ。台風による被害はまったく見受けられなかった。
 墓園の人もとても親切で、気に入りました。ここなら歩いて来られるしね。








 墓園の向かいに大きなショッピングセンターがあった。なぜかはわからないが、おれはフードコートの類いを見ると不思議なほど興奮する。
 お、くら寿司もあるじゃないか。いちど母をくら寿司に連れて行きたいと思いつつ、車椅子だから無理か、とあきらめていた。ここなら大丈夫だ。あ、ゆうひ鮨にはすでに連れていきましたから。








 ショッピングセンターの駐車場を見渡すと、背景に豊かな緑が。ほう、やるじゃないの板橋区。
 このあたりから空模様が怪しくなってきた。








 緑の正体を見極めに行ったら魅力的な階段が。なるほど、公園ね。階段を上りたい気持ちが強かったが、半袖だったので蚊がこわくてやめた。根性ないな。








 第二の目的地に向かう途中で迷子スキル発動。自分でも呆れる方向音痴っぷりだ。だってさ、グーグルマップやストリートビューで何度も予行演習してから来たんだぜ。
 テキトーに歩いてたら、さっきまで沿って進んでた中山道が眼下にあった。いつのまに高度を上げたんだ。








 迷子中に見つけたワイルドな料理店。どれが店名なのかはわからないが、とにかくマタギの野獣肉専門店らしい。いつか来てみたいけど、迷ったすえに辿りつけないという落ちになりそうだ。


 1時間ほどさまよい歩いた末、自力での目的地到達を諦めて、セブンイレブンのおねえさんに道を尋ねた。買いものもせずに道だけを聞く失礼な客に対して、わざわざ店の外まで出て丁寧に教えてくれた。ダイエットしてないときならアイスくらい買うんだがなあ。でも、この恩は忘れません。








 ああ、このペンションっぽい外観の小ぶりな建物こそ、おれの目的地。








 カフェ・ベルニーニ。おそらく板橋区でいちばん評判の高いコーヒー専門店。もちろん自家焙煎で、かのカフェ・バッハの血を濃く引き継ぐ店だという。







 初めての店ではブレンドをたのむ。コーヒーに対する店の考えかた、接しかたが顕著に表れるのがブレンドだと思っているから。
 この店では、客のイメージに合ったカップ&ソーサーでコーヒーを出してくれるそうだ。
 抽出はバッハ譲りのペーパーフィルター。小さなサーバーにドリップしたコーヒーをカップにそそぐまえに、スプーンでサッとひと口味を確認していた。そのチェックのしかたが惰性ではなく、時間は短いけど魂が入ってる感じで「カタチがよい」。うん、この店は信頼できる。気に入りました。


 おれの前に置かれたカップ&ソーサーを見て、「マスター、よいしょがおじょうずね」と思った。ええ、好きですよ、こういうデザイン。
 入店したときにはほかに2組の客がいたが、5分もしたらマスターとふたりだけになった。こちとらコーヒー熱がなかなか下がらない半可通の素人なもんだから、聞き上手のマスターに促されるようにあれこれしゃべる。「ほんとにその通りだと思いますよ」といった合いの手で、さらに調子に乗りそうになった。マスター、やっぱりおじょうず。


 ベルニーニブレンドは、ほっとするコーヒーだと思った。道にさんざん迷った末にようやっとたどり着いた一杯だからよけいそう思ったのかもしれないが、「行ってらっしゃい」のコーヒーと「おかえりなさい」のコーヒーがあるとすれば、後者だと思う。
 すっきりすんなり、すとんと体に入ってくるクリアなコーヒー。何杯でもおかわりできそうなのに、何杯めであっても飽きがこなさそうなコーヒー。そんな感想を持った。


 この店では焙煎豆を100グラムから買うことができる。おれが目当てにしていたブルンジとモカは残念なことに「いま、いい豆がないんですよ」で品切れだったが、シダモ、ケニアAA、そして飲んだばかりのベルニーニブレンドを100グラムずつ買った。
 店を出るときにはすでに小雨が降り出していた。マスターは店の外まで出てきて、丁寧に駅の場所を教えてくれた。おれじゃなければ迷わないくらいわかりやすい場所なんだけどね。


 降っていなければ帰りも歩くつもりだったが、地下鉄に4駅ぶん乗り、そこから雨のなかを豆をかばいながら歩いた。豆は店の紙袋をさらにビニール袋に入れてくれてあったのから、無事に家まで持ち帰れた。








 濡れずに済んだ紙袋。








 3種類の豆。焙煎済みの豆を買ったの、久しぶりだなあ。








 ケニアAAはおれがよく焙煎する豆でもある。プラスチック容器にお手本として小分けし、焙煎時に色を比べたりするのに使わせていただきます。


 今日の散歩。
 歩数 13675歩
 距離 12.29キロ
 消費カロリー 1260Kcal
 どんだけ迷ったんだよ、という話。

6杯め だらだら日記


 日記のようなものをだらだらと書きたいと思ったので、書く。


 最初にお断りしておく。この日記には落ちがない。おれは友人の話に対して「落ちがない!」と怒ることがあるが、それは友人の話が「いかにも落ちがありそうな話しぶりなのに最後まで聞いたら落ちがなかった」からだ。話に落ちをつけるのは対人関係における礼儀のようなものなのと考えているので、これはいかんのですよ。友人が悪い。
 その点、落ちがないことを最初にお断りするおれは誠実だなあ、と思う。落ちがないといやだと考える人は読まなきゃいいんだから。誠実だなあ、おれ。


 おとといの土曜の夜、血尿が出た。氷が溶けかけたアイスココアみたいな色のしょんべんだ。
 またやっちゃったか、と思った。『団地ともお』のアラマ投手なら、まちがいなく「あちゃー」という場面。
 自慢できるこっちゃないが、おれは血尿には慣れている。初めて体験したときこそ慌てたが、2回目移行は「またか」とうんざりする程度には慣れている。


 最初の血尿は20代がどん詰まろうという時期のことで、過労が原因だった。
 それまで、血尿は体を酷使するスポーツ選手に特有の症状だと思い込んでいたので、我が身から見慣れぬ色の液体が放出されるのを見てひるんでしまった。当時は慢性的な睡眠不足で仕事に終われてはいたが、肉体労働者ではないから、血尿は自分とは縁遠いものだと思っていたのだ。必要以上にびびって、仕事を2日休んだらあっさり治った。


 2回目以後の血尿の原因は、すべて尿管結石だ。石が尿道の内壁を削ることで出血したわけだ。
 「尿管結石より痛いのはお産だけで、男が体験するなかでは最大級の痛みである」なんてことがよく言われる。この話に、おれは反対しない。痛い。痛い。ものすごく痛い。人間が我慢できる限界を超えた痛みだと思う。だからすぐに病院に連れて行ってもらった。
 5日ほど入院した。結石という病気は、痛いときこそとんでもなく痛いが、傷まないときはまったく痛くない。熱がでるわけでもなく、体がだるくなったりもしない。一日のうちで痛みを感じる時間はトータルで2時間もないから、残りの22時間はたださぼってるだけだ。おれ、なんで入院してんだっけ、と思ったりもした。
 痛みに襲われるとナースコールで助けを呼び、モルヒネを注射してもらう。モルヒネってのはたいしたもので、我慢の限度を超えていると思った痛みが、注射してもらったとたんにすうっと引くのだ。それこそ引き潮みたいに消えていき、みょうに幸せな気持ちになる。多幸感ってやつだ。
 あとから聞いた話では、戦争で片足がぶっとばされた兵士でも、モルヒネによって痛みが消えるとか。そりゃ、法律で一般人の使用が禁止されるわけだ。


 3回、尿管結石を経験した。うち2回は入院した。我慢の限度を超える痛みは、医療に頼ると割り切ったから。
 入院しなかった1回は、痛みの兆しを感じてすぐに検査をしてもらい、クロの診断を受けたものの、その後何日経ってもいっこうに痛みが激しくならなかった。ドクターによれば「小さな石で、知らない間に流れちゃったんでしょ」とのことだった。


 石といえば、最初の結石のときは、しっかり"犯人"を確保した。小用と足すたびに茶こしを持っていき、しょんべんを濾していたのだ。
 尿道を通るときに激しい痛みがあるだろうと想像し、恐れていた。ところが実際には「ぐりっ」とした違和感をコンマ何秒という単位で感じただけだった。あとから考えれば、石が出たときの排出の感覚は"快感"と言えるかもしれない。だからと言って、それを味わうために尿管結石になるのではとうてい間尺に合わないほどの小さな快感。
 体外に排出された石は、じつに禍々しい形をしていた。長さは2センチほどもあった。細かな突起に表面が覆われた、ヨロイトカゲを思わせるような石だった。映画『エイリアン』の口の部分だけを切り取って裏表ひっくり返したような、と言ってもいい。これが血管をこすったら、そりゃ痛いはずだわ。


 おれは石のできやすい体質らしい。結石ができやすい奴は胆石もできやすく、歯石も同様だそうだ。体質なのでしょうがない、とドクターは言った。
 なので、今回の血尿も、疑うべき第一の容疑者は結石である。しかし、第二の容疑者の影もちらほらしていた。ワーファリンという薬だ。抗血栓薬という種類の薬で、血管のなかで血液が固まるのを防ぐ作用を持っている。強制的に血をさらさらにするわけだ。効果がとても高い一方で、治療域=服用する量のストライクゾーンがとても狭い。おれの場合、服用を始めたときは2グラムだったのに、0.25グラムずつ増えてきて、いまは3.5グラムものんでいる。


 先月の12日にダイエットを始めた。なにごとでも「楽しい」と感じているうちは苦労を感じない性分なので、成果は如実に顕れている。つまり、まだダイエットに飽きていない。体重はすでに7キロ減った。
 この7キロが問題だと思った。体重が減り、食生活が改善されたために内蔵の調子もよくなった。その結果、3.5グラムのワーファリンでは多すぎる体になったんじゃないか。ワーファリンは、一面だけを見れば人工的に血友病になるような薬だから、血尿が出ても不思議はない。尿管結石でない証拠に、痛みがまったくないではないか。そうだそうだ、そうにちがいない。
 しかし、土日で外来が休みのときに病院に行くほどのことじゃないな。月曜の朝一で病院に電話してみよう。循環器科の予約を一週間後の月曜に入れてあるから、それを前倒しにしてもらうように頼んでみよう。


 血尿の色は回を追うごとに濃くなり、ついに今朝の第一放流時ではホットココアの色になってしまった。お、いまの文、和文英訳の問題でつかえそう。おれには訳せないけど。ただし今朝のぶんは放流のなかばで色が薄くなり、しまいにはノーマルの色に戻った。「採尿時にいちばん悪い色を出してみせればワーファリンをたくさん減らしてもらえるかも」と思っていたので、目視では確認できない色になったことがすこし残念だった。しかし尿潜血反応を調べればクロになるのは確実だろう。


 お世話になっている病院は、電話で予約を入れるシステムを採っている。受付開始時間は9時。電波時計を見ながら9時きっかりにダイヤルしたが、まだ留守電だった。10分ほどリダイヤルしまくり、すこしイライラし始めたころにようやくつながった。
 電話用にまとめたメモを見ながら「できるだけはやく検査をしてほしい」と訴えた。おれは一昨年からその病院の循環器科にお世話になっていて、来週の月曜にも予約を入れてある。ヘタすりゃ「そのときに調べてもらって」となりかねないし、ふつうなら血尿の患者を扱うのは泌尿器科だ。でもおれは循環器科で診察してほしかったので、丁寧に交渉し、望みどおりの結果が得られた。事前にメモを準備していた効果だと思う。大事だなあ、準備って。


 循環器科で診てほしかった理由は、先ほど書いたワーファリンにある。一日でもはやく、ワーファリンをのまずに済む体になりたいのだ。なぜなら納豆を食べたいから。この薬をのんでいるかぎり、納豆、青汁、クロレラは厳禁なのだ。あとのふたつはどうでもいいが、納豆が食べられないのはつらい。だから、一日でもはやくワーファリンを減らしてもらえるように、1週間後を待たずに病院に行く決心をしたのだ。
 これがセオリーどおりに泌尿器科にまわされてしまうと、採尿後に腹部エコーをやって、硝酸カルシウムについての説明を受け、痛み止めを処方されておしまい、となるのが目に見えている。循環器科であればワーファリンを減らしてもらえる可能性がある。一週間後に予約したぶんの診察を前倒しできれば通院の手間も減る。


 予約センターの人が循環器科に内線をまわしてくれようとしたが、混んでてだめ。で、「いちど大代表にかけなおして循環器科につないでもらってください」となった。指示に従って大代表にかけたが、やっぱり循環器科の内線は混んでいるようで、10分ほど待った。
 ようやく循環器科につながった。予約センターにアピールしたのと同じ内容を繰り返す。結果、他の予約患者との兼ね合いから、「午前11時に来院して」となった。


 11時か。ひとつの問題があった。おれの膀胱のキャパシティーだ。朝イチ、午前5時の放流を済ませたあとは、採尿にそなえてトイレを我慢していた。はたして11時までタンクはもつのかと不安になった。このように用意周到に貯水をしていたのには理由がある。かつて、と言っても去年のことだが、採尿の予定があるのを忘れて、トイレでさっぱりしてから病院に行ったときの苦い経験。いちどタンクを空にしてしまうと、搾り出そうとしてもそうそう出るもんじゃないことを知ったのだ。
 この病院では、廊下を挟んで採尿室の向かいにドリンクの自販機がある。カップ式の、かなり多くの種類が選べる自販機。ずらりと並ぶボタンのなかに「お水」があって、これだけは無料。去年は水を6杯、およそ1リットルくらいたて続けに飲んで、なんとか採尿することができた。そのときに、6杯飲んだからといってすぐに出るもんじゃない、と知った。
 そりゃそうだよな、人間は筒や管じゃない。もし筒だとすれば、飲んだそばからダダ漏れだもんな。





 このような失敗を繰り返したくないので、適度な貯水量を保った状態で登院したかったのだ。しかし11時までにはまだ時間があるので、堤防決壊のおそれもある。
 そこでWii-Fitですよ、奥さん。室内で軽く運動することで、汗として水分を逃しておくのである。30分ほど有酸素運動をしたおかげで、なんとか決壊することなく11時までもった。軽く汗ばんだので、シャワーを浴びて病院へ。家から歩いて15分ほどの場所へ向けて、足早に歩く。


 循環器科の窓口に行くと、年配の看護婦さんがすこし離れた場所を指さして「あそこで問診票を書いてきてください」と言う。初診の患者向けの事務手続きである。「いや、初診じゃないし、毎月診てもらってるし、先月は入院までしてたし」などと説明するが、要領を得ない。どうやら"規則の人"のようだ。こういう人に対して「効果・効率・実質」をアピールしても時間の無駄になることは、よくわかっている。素直に従うしかない。


 でも一点だけ譲れないことがある。「膀胱がピンチなので採尿だけ先にさせてください」と、こころもち身をよじるようにお願いした。その願いは受け入れられたが、液体の入った紙コップは検査室にまわされることなく、看護婦さん預かりとなった。
 おれとしては、問診票より先に採血をしてほしかった。採った血を分析器にかけ、その結果が担当医に渡るまでには1時間ほどかかる。尿検査も同様だ。そのことをやんわりとアピールしてみたが、「採血は先生の指示があってから」の一点張り。無駄な待ち時間、決定。


 ……したかに思えたが、往生際の悪いおれは顔見知りの看護婦さんを見つけて、こっそり採血の許可を得た。採血後は分析にかかる時間がぽっかりと空く。待てない病でもあるおれには、待合室の椅子でぼーっとしていることができない。いちおう待ち時間に読むための本を携行してはいるが、できればじっとしていたくない。
 看護婦さんに「分析結果が出るまでに食事を済ませておきたい」と頼み、病院外に出た。この場合も、暇だからとかお腹がすいたからではなく、いかにも「食後の薬をのむため」という顔で聞くのがポイントである。
 無事にお許しをいただいて病院の敷地から出て、商店街に向かう。世間はお盆で、人通りが少ない。東京も、いつもこのくらい人が少なければ住みやすいのに、と思う。





 おれはダイエットを始めると、極端に外食の回数が減る。
 外食はどうしてもカロリーが高くなるから、というのがその理由だ。今回のダイエットは先月の15日に始めたのだが、なんと今日までいちども外食をしていない。ひと月ぶりの外食だ。何を食べようかなと商店街を歩きながら、鞄をチェックして青ざめた。
 なんつーバカか。財布も小銭入れも家に置いてきちゃった。


 ふつうなら病院にすごすご戻るところだが、脳がダイエットモードになっているためか、家に財布を取りに行こうと思いたつ。歩数が稼げるからだ。やや早足で部屋に戻り、汗を拭いているうちに「部屋で食べちゃえ」となって、いつもと同じ朝食を採った。トマトとバナナとシリアルと牛乳の、320Kcalセット。外食は次の機会までおあずけである。
 病院に戻るときは、風景を見ながらややゆっくり歩いた。看護学校の寮とおぼしき建物の横を通ったときに、道路に面した柵越しにあるオブジェが目に入ったので、写真を一枚。





 最初に見たときは七夕の短冊的なものかと思った。「ダイエット 成功したよ」って、学生さんがうれしくてつい書いてしまったんだろう、と。しかしあとで写真をよく見ると、ダイエットに成功したのはドラえもんだったのですね。時間差で和ませていただきました。


 病院に戻り、循環器科の待合いスペースでおとなしく待つ。この病院では、午前・午後それぞれ3人のドクターが外来の担当をしていて、「いまどの先生の何時の予約ぶんの診察が行われているか」がわかるパネルがある。手書き+マグネットプレートのアナログなシステムだけど、これがあるだけでも待つ辛さがずいぶん軽減される。
 ところが。他のふたりのドクターの診察は順調に進んでいるのに、おれの主治医だけホワイトボードに時間が書かれていない。どんだけ待てばいいのやら、と思って座っていると、そのドクターが遠くの廊下を歩く姿が目に入った。ひょっとすると午前の予約ぶんの診察が全部終わったつもりになってるんじゃないの? おれ、忘れられてる? 不安が頭をよぎる。と同時に「当日になって急に診てほしいとわがままを言ったのはおれのほうなんだから、手を煩わせちゃあいけねえ」という気持ちもあって、貧乏揺すりを我慢しながらさらに待つ。
 午後2時をまわったあたりで我慢の限界に達し、看護婦さんに確認すると、あっさり「次の番です」だって。なぜか循環器科でなく、内科に呼ばれ、ようやく診てもらえた。


 んで。血液と尿検査の結果に驚いた。
 なんと、潜血反応マイナス。「きれいなものですよ」とのことで、ドクターもしきりと首を捻っている。「今朝なんてホットココアだったんですよ」とアピールしてみたが、結果がマイナスと出てるんだからしょうがない。データからは尿管結石の可能性もほとんどないらしい。
 「血尿ではないのに血尿に見える症状って、どういったものがありますか?」と質問の角度を変えてみたが、「そういうことがないわけではないですが、今回のケースはそれにはあたりません」と、指示代名詞の多い答えが返ってきただけだった。
 結果、ワーファリンの量を3.5グラムから3.0グラムに減らしてもらうことができたのは収穫だったが、謎の血尿のせいで、来週も予定通り通院して検査を受けることになったのだった。


 ワーファリンに関しては、過去にも「服用するのを忘れたか、納豆を食べてしまったとしか考えられないくらい効いていない」というデータが出たことが2回ある。もちろんおれは薬をのんでいるし、納豆も泣く泣く絶っている。他の患者では起こりえないようなことが、おれや、おれの家族にはよく起こるので、こういうときは「なにかのお報せと思うしかないや」と考えることにしている。


 歩いて帰宅したときは午後4時をまわっていて、歩数は1万歩を超えていた。なんだかよくわからない一日だったが、疲れたことだけはたしかだ。


 だらだら日記、おしまい。ね、落ちがないでしょう。


5杯め 酒粕酒醸


 「酒粕酒醸」と書いて「さけかすちゅーにゃん」と読む。朋友のマネしやすいほうはチューヤン、ネズミの着ぐるみの猫はニャンちゅうだ。
 酒醸は中国の調味料で、米麹酵素の力で米を糖化させたもの。用いると料理に甘みとコクが出る。ただし日本では入手しづらく、おれは『ためしてガッテン!』で紹介された「酒かすチュウニャン」に倣って自作している。


↓ここ見りゃ全部載ってます
日本伝統あの発酵食で 驚きコレステ減効果! : ためしてガッテン - NHK


 おれはなんでも食べられる。
 「キビヤックは? アボリジニが食べるゴキブリは?」なんて責められると困るが、日本人がふつうに食べるものなら、たいていはいける。クサヤは勘弁だけど、あれは「ふつう」じゃないと思ってる。
 唯一食べられないのは納豆だが、服用中の薬の効果を阻害するという理由で医者に禁じられているだけで、大の好物である。皮肉なのは、その薬が「血液の流れをよくするため」のものだってこと。「だって納豆も血液さらさらじゃん」と唇をとんがらがしたくなるが、医学がダメと言ってるので渋々従うしかない。「納豆が食べたいなら薬をのまずに済むように自力で治したまえ」ってことだから、食べられないことの非はおれにあるのだ。納豆もワーファリンも、悪くない。


 なんでも食べられるのは、幼少時の躾のおかげだと思う。感謝している。よそのお宅におじゃまして食事をふるまわるときに「申し訳ないんですがこれはちょっと」と言わなくて済むのもありがたい。
 ただし、食べられるけどあんまり好きではない、できれば避けたいってものならある。その代表が甘酒で、大学生くらいまでは大嫌いだった。同じ空間に甘酒を飲んでる人がいたらその部屋から黙って退出するほど苦手だった。その後、ガマンすれば飲めるようになったが、積極的に飲もうとは思わなかった。
 落語で与太郎が酒粕を食べる場面があるが、「なぜあんなものを」と思いながら聴いていた。


 甘酒の材料は酒粕だ。もちろん酒粕もあまり好きではなかった。
 ところが『ためしてガッテン!』で酒粕を特集したときに「こいつはすごいかも」と思ってしまった。コレステロールを下げる効果が、ホントかよと思うほど著しいのだ。
 「食べものは味で選ぶもんだ、体によいから食べるなんてのは不健全だ」と主張してきてきたおれだが、試してみる気になった。そもそも血管の障害で2年のあいだに3度も死にかけた不健康な人間には、「不健全だ」と主張する権利など残されていない。


 で、酒粕酒醸なる調味料を自作してみた。こいつを様々な料理に入れて2週間ほど試してみたら、血液検査の数値が目に見えて改善された。すげーな酒粕。
 ありがたいことに、酒醸を料理に入れて再加熱することで、酒粕独特の匂いがほぼ消えてくれるのだ。そればかりか、とくに和食との相性がとてもよく、深いコクが加わるのである。かといって全体の味はあっさりしたままなので、まるで自分の腕が何枚も上がったような錯覚すら。


 酒粕が体に良いことの科学的な根拠は、"レジスタントプロテイン=消化されにくいタンパク質"にある。消化されずに小腸まで到達したレジスタントプロテインが脂質や油をふんづかまえて、体外に排出してくれるという。ついでに便通がよくなるというご利益つきで。
 じゃあ日本酒を飲めばいいんじゃないの? と思う人もいるだろうが、この働きは「酒粕ならでは」だそうだ。粕、カス呼ばわりされてはいるが、その実態は健康に有効な成分が凝縮されたもので、米と比べるとビタミンB2は26倍、B6は47倍、アミノ酸は583倍も含まれているという。
 あ、これ全部『ガッテン』の受け売りな。
 「粕」は「よいところを取り去った残りのもの」という意味だが、酒粕に限ってはまったく正しくないネーミングだと言える。


 ほんじゃ、酒粕酒醸の作りかたをメモしておこう。
 冷蔵庫で保存した場合、2週間くらで食べきるとよいそうだ。おれの計算では、酒粕酒醸10グラムあたりのエネルギーは22Kcal。黒砂糖を入れるわりには低いと思う。一度の料理につかうのはせいぜい20グラム程度だから、そう気にすることもあるまい。



酒粕酒醸の作りかた



1.材料 酒粕酒醸550グラム(実際には蒸発するので500グラムくらい)ぶん
  酒粕 200グラム
   水 200グラム
 黒砂糖 75グラム
   酢 75グラム
 おれは2週間でつかい切るために半分の量でつくっている。


2.水と酒粕を熱しながら溶く。
 テキトーなタイミングで酢を加える。


3.ぐつぐつ、ぶつぶつ文句を垂れ始める。


4.黒砂糖を投下、糖化。


5.混ぜる。鍋の上はけっこう暑い。


6.こんな色になったら完成。
 ちょっとくらいダマが残っても気にしない。
 つかうときにはまた熱して溶くんだから。


7.冷やして密封できる容器に入れて冷蔵庫へ。


 

 4杯め コーヒー? 珈琲?


 おれはカタカナの「コーヒー」派だけど、「コーヒーにはちょっとうるさいよ」って人ほど漢字で「珈琲」と書く傾向があると感じている。
 なかには「"王へん"だと偉そうだから」と"口へん"の字をつかう人もいる。中国語での表記も"口へん"だそうだ。
 "口へん"派の喫茶店には主張があるだろうから、「あれ? マスター、漢字が"王へん"じゃないんですね」なんて話しかければ、相好を崩して薀蓄をひとくさり披露してくれたあとで、おかわりをふるまってくれるかもしれない。


 ほかにも獅子文六の小説の題名にもなった「可否」や、「可非」、「骨非」など、さまざまな当て字があって、その数は両手の指に余るだろう。
 「骨非」で思い出したことで、コーヒーとは何の関係もないが、任天堂の社命は1963年まで「任天堂骨牌」だった。骨牌と聞くと麻雀牌を連想しがちだが、事業の中心は長いこと花札だった。だもんで、京都駅からタクシーに乗って「任天堂」と行き先を告げると、年配の運転手のなかには「ヤクザの親玉のところね」なんて悪口を言う人もいた。


 当て字のなかでいちばん広く用いられているのはまちがいなく「珈琲」だ。これは、簡単に想像がつくように、外国語の発音に字をあてただけ。
 日本にコーヒーを伝えたのはオランダと言われている。オランダ語では「koffie(コーフィー)」だから、ほぼそのまんまである。とくに捻ったりはしていない。
 また横道にそれるけど、オーヤンフィーフィーは欧陽菲菲。こっちは"草かんむり"だ。


 「珈琲」の字をを最初につかった人は江戸時代の蘭学者宇田川榕菴だそうだ。オランダ語辞書を編む際に、「骨喜」「哥兮」などと並べて「珈琲」の字を用いたらしい。長い時間のなかでいちばんウケがよくて人口に膾炙したのが「珈琲」だったと、そういうわけ。


 『漢字源』にあたってみると、それぞれの字の意味はこうだ。
珈:婦人の髪の上に加える飾り。
琲:たま飾り。多くの真珠にひもを通して二列にたらした飾り。
 どちらの字も似た意味で、きれいなイメージを持っている。ただし、この意味をコーヒーそのものに重ねるのはちょっと強引かな、と思う。あくまで音が先にあり、見栄えのよい字をあてた、ということだろう。
 ネルの先端から垂れるコーヒーの雫を真珠に見立てた、と解釈すれば美しいが、当時は煮込み式のコーヒーだったはずだから。


 おれは漢字の多すぎる文が嫌いで、とくに「暫く」「漸く」の類を見ると虫唾が走るし、「ございます」が「御座居ます」、「おめでとう」が「お目出度う」なんて書かれていると、何時代だよと言いたくなる。
 外来語についても「すなおにカタカナで書けばいいじゃん」と考えている。さすがにブラジルを「伯剌西爾」、エチオピアを「哀提伯」と書く人はいないだろうが、考えてみれば「珈琲」はこれらと同じ類いの当て字だ。


 ただ、「珈琲」だけは「アリだな」と思う。
 日本には、外来語が敵性語として禁止され、野球をするにも「ストライクバッターアウト」を「よい球打者だめ」と言わされた時代があった。
 コーヒーはその時代にも(質こそ劣悪ながら)人々に愛飲されていたはずで、やむなく「これは珈琲という日本語だ」と言い張って、言葉狩りを免れてきたのではないか、と想像するからだ。「黒茶」とかにならなくてよかった。
 現代でも「日本のコーヒー事情はガラパゴス化している」なんてことが言われるが、その原因を辿っていけば「珈琲」に行き当たるのかもしれない。


 ま、おれはあくまで「コーヒー」派なんだけどね。

3杯め ウルトラ生姜コーヒー


 ダイエットを再開してからもうすぐ1ヵ月になる。おれは激しい運動ができないので、食生活の改善を核としたダイエットだ。
 「〜するだけで痩せる」「〜を食べるだけで脂肪が燃える」といった、夢のような話をおれは信じない。食品のエネルギー計算を核として、摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスを地道に調整し続けることが唯一の道だと思っている。
 そもそも怠惰と放埒で脂肪を貯めたんだから、振り子を戻すには勤勉と節制しかないだろう。

 と言ってはみたものの、良さそうなアイデアは積極的に取り入れたい。その際の条件はふたつ。お金が(あまりかからないこと、そして楽しめること。メインのルートさえ把握しておけば、多少の寄り道、回り道は気分転換になりこそすれ、迷子の原因にはならないはずだ。
 そしてこっそり楽もしたい。

 ある人から生姜紅茶の話を聞いた。
 生姜紅茶じたいは、おれも試したことがある。そのときはリプトンのティーバッグにチューブ入りのおろし生姜を混ぜて飲んでいた。手軽さではちょっとこれ以上の方法はないだろう。でも、気づいたらやめていた。手軽なのはたしかだが、劇的な効果が感じられなかったし、味もつまらなかったのが敗因だと思う。

 今回おれに生姜紅茶の話をしてくれた人は、生の生姜をスライスしたものを個別にラップして冷凍し、紅茶を淹れるたびに加えているそうだ。なかなか魅力的なアイデアだと思ったし、さっそくマネしてみようとも考えた。
 すぐにスーパーへ生姜を買いに行く。中国産の安いのと、国産の安くないのが並んでいた。近頃は福島産を避けて中国産の野菜をわざわざ選ぶような風潮があるが、国産を買った。

 さっそくスライスしてラップして、と思ったが浮気心が芽生える。他の方法はないものか。たとえば、スライスせずに丸ごと冷凍し、飲む都度すりおろしてみるのはどうだろう。
 おれはレモンでこの方法を実践している。レモンの"レモンらしさ"は皮に凝縮されているそうだ。実際、丸ごと凍らせてからすりおろしたレモンはとてもよい香りがするし、何にでも合う。カレー、うどん、ときには白いごはんにすらかけている。1個のレモンが1月以上もつのもすばらしい。
 でも、生姜を凍らせてもだいじょうぶなのか? 冷凍室から出すとすぐに溶けると聞いたことがあるから、解凍と冷凍を繰り返すと生姜とは別のおそろしいものになっちまわないか? なんて思いながらネットをさまよっていたら、すばらしい方法があった。

 それが、ウルトラ生姜だ。
 盲信こそしていないが、かなりの信頼を寄せている『ためしてガッテン!』のサイトだ(→ ここ)。
 どこがウルトラなのか? 番組の調査によれば、ノーマルな状態の生姜は指先などの体表の温度は上げてくれるが"深部体温"には効果がいまひとつそうだ。ところが乾燥させた生姜は深部体温にも効くらしい。水分を抜くことで生姜そのものの扱いやすさも格段に上がる。たしかにウルトラである。

 なるほどねえ。冷凍するのではなく、スライスして乾燥するとは。自分ではまず思いつくことのなかった発想だ。さすがはガッテン、と思ったが、漢方の世界では古くから"寒冷腰痛を止める""中から温める"といった薬効が認められているそうだ。

 善は急げで、さっそくやってみた。こういうことは、すぐにやらないとけっきょくやらずじまいになることが多いしな。


1.2〜3ミリの厚さに切った生の生姜をザルに並べる。
 ザルも網もダイソーで買ったもの。
 ふだんはコーヒー豆の冷却に使っている。


2.ベランダで日光浴させる。


3.このくらいでひっくり返して裏を干す。
 夏の晴れた日なら両面で6時間あれば充分。
 降ったら室内に退避させればいいだけのこと。


4.ミルサーで粉末に。
 コーヒーミルならさらに細かく砕けるが、
 マシンに匂いがつくのはゴメンなのでミルサー。
 丸洗いできるしね。

5.アイスコーヒーに粉末を浮かべて飲んでみた。
 けっこう合うじゃん。
 でも体を温めるものをアイスで飲のはどうなんだ。
 この方法だと粉末が気になる人もいるだろう。


6.ホット版を淹れる。
 蒸らした粉のうえにウルトラ生姜の粉末をぱらぱら。
 量は目分量でテキトーに。で、抽出続行。
 やはり匂いがつくのを恐れて金属フィルターの使用は避けた。


7.うん、いける。
 ただしこれにばかり慣れるとノーマルのコーヒーを味気なく
 感じるようになっちまうかも。「たまに」にしておこう。

 ホットのウルトラ生姜コーヒーには、ハイチの豆をつかった。
 生姜の味はコーヒーに比べても強い。豆の甘みをふっとばしちまうくらい強い。ただし酸味や苦味とはうまく同居できるようで、事前に想像したよりもはるかに「飲める」味だった。
 ダイエットのことを考えなければ、これにハチミツをプラスしても楽しそうだ。