喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

16杯め 追悼・立川談志 話芸の神さまの隠し子

 談志が死んだ。
 知ったのは迂闊にも今日、友人からのツイッターを介したメッセージだった。21日に亡くなっていたのか。その日は我が家の墓の移転をしていた。30年を越えて通った千葉の松戸にあった墓を、家から歩いていける板橋の墓苑へ。移転元と移転先の双方で焼香したから、家元にもいくらかは煙が届いたろうか。

 去年、練馬で開かれた一門会に談志が出た。退院から間もない、細くて小さなおじいさんの談志を初めて見た。近況を2〜3分だけ語ってくれれば充分な状態だった。しかし談志は『強飯の女郎買い』に入った。発声練習で終わるだろうとたかをくくっていたら中段に進み、さらに『子は鎹』の半ばまで。ゆうに40分以上をかけて『子別れ』をほぼ通しで演ったことになる。いいものを観せてもらったと思った。これが談志の最後の落語だと覚悟した。

 だから訃報を聞いてもおれは驚かないだろう。そう思っていた。そして今日。なぜかずっと背筋が伸びている。リラックスしようとしても背中がピンと立ったままだ。心から敬服している人を失うと、人間ってこうなるのか。最期に貴重なことを教えてもらった。ほんとうに多くのことを教えてくれた人だ。背筋の伸びてるうちに書かなきゃな、と思った。

 40年ちかくも昔。小学校の国語の授業だった。その日のテーマは回文で、知ってる回文を順々に挙げて行った。「竹藪焼けた」「新聞紙」「イカ食べたかい」。誰かが言った。「談志が死んだ」。全員が笑った。教師も笑った。 談志は、小学生ですら誰もが知っている有名人だった。しかし談志の顔の売れかたは、そこいらの人気者とは違っていた。談志の名を口にするときには、誰もがすこし斜に構えるような気配があった。そんな言葉は知らなかったが、トリックスターがいちばん近い。毒入りのトリックスター。

 小心者のおっちょこちょいで、気にしぃの調子乗りの寂しがり屋。そんな弱さを隠そうともせず、背中で押して前に出る。「どうせ俺なんか偽物だからな」と口火を切って、あとに続く噺は本物だ。

 談志からどのくらい影響を受けただろうか。ここ20年ほどは、毎日のように寝る前に談志の落語を聴いている。毎日1時間、年に200日と少なめに見積もったとしても、時間だけならおつきの弟子より長く聴いているかもしれない。睡眠学習で体に染み込んだ談志流は、「談志を引いたらどれだけおれのオリジナルが残るのか」と不安になるほどだ。

 「学校は誰のためにあるか知ってるかい? 病院は? 国会は? 生徒だ患者だ国民だのと、きれいごとは言うなよ。学校は教師のためにあるに決まってるじゃねえか。医者と看護婦が食わなきゃ病院なんてないんだよ。もちろん国会は議員様のためにあるんだ」。まさに正論。これ一発で、談志を本気で聴く構えができた。

 平成以降の談志しか知らなければ、芸界でいちばんエライ人だと勘違いするかもしれない。しかし若き日の対談や座談会を読むと、大橋巨泉や青島幸男長部日出雄といったあたりに、ぐうの音も出ないほどにやり込められて泣きを入れている。談志がえらいのは、それを隠そうともせずに自分の全集に再録するところだ。やり込められる様もカタチになって映るのが、この人の逞しさだし愛嬌だ。

 当時落語の王であった志ん生。その息子の志ん朝をライバル視し、ずいぶんと嫉妬の炎を燃やしたらしい。後輩の志ん朝が先に真打に決まったとき、「辞退しろ」と詰め寄ったエピソードはいかにも談志らしい。ああ、談志はエピソー「ト」と濁らず発音してたっけなあ。それと「順風満帆」を声に出すときは、いつもゆっくりだった。最期に(?)が隠れてるような、読みに自信がなさそうな感じ。

 志ん朝は落語の王様の息子だ。談志はタクシーの倅だが、おれは神の子だと思ってる。それも、落語にとどまらない話芸全般の神さまの、照れと恥を心得た隠し子。

 病的なまでに芸を愛した子どもに、話芸の神さまはそれを演じる力を与えた。一度聴いた芸を忠実に、ときにはオリジナル以上の魅力とともに再現する力。まだ30そこそこだった談志の芸評には、執拗なまでの観察力と、常軌を逸した再現力の両輪が唸りを上げて回っていた。小えんだった二つ目時代の『源平盛衰記』を聴けば、よほど鈍感な奴で無い限り、才能とは本当にきらきらと輝くものだと感じられるはずだ。

 壮年になった談志に客席から掛け声が飛んだ。「中興の祖!」 本人、大テレであった。
 おれが談志に教わったいちばん大切なこと。それは「照れのない奴はバカだ」。ヤダネー。

 おれは談志ひとり会にいくと、必ず居眠りをしてしまった。ある回で、演目の『鮫講釈』にかけたわけではないが、いけないと思いつつ船を漕いでいた。談志の高座は寝られるのだ。気持ちがいいのだ。すると張り扇で釈台を叩く鋭い音。はっとして目を開けると、談志がおれを見てた。にやりと笑って「おれの高座で寝る奴なんかいねぇよな」。

 追悼番組は見ない。死んだ途端に名人扱いする有象無象を見たくない。気の利く友人が、若き日の講座風景だけ集めてDVDにしてくれるのを待つことにする。
 正蔵が彦六で死んだとき。マスコミが名人扱いする中で談志が言ったね。「おれのほうがよっぽどうめえ」。本当だから始末に負えない。

 談志は死んで本望だろう。敬愛した手塚治虫が、阿佐田哲也が、田辺茂一が待つ場所にやっと行ける。夢と終わった志ん朝との二人会だってできる。

 本名 松岡克由。享年75。
 戒名 立川雲黒斎家元勝手居士

 家元、本当にありがとうございました。