喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

6杯め だらだら日記


 日記のようなものをだらだらと書きたいと思ったので、書く。


 最初にお断りしておく。この日記には落ちがない。おれは友人の話に対して「落ちがない!」と怒ることがあるが、それは友人の話が「いかにも落ちがありそうな話しぶりなのに最後まで聞いたら落ちがなかった」からだ。話に落ちをつけるのは対人関係における礼儀のようなものなのと考えているので、これはいかんのですよ。友人が悪い。
 その点、落ちがないことを最初にお断りするおれは誠実だなあ、と思う。落ちがないといやだと考える人は読まなきゃいいんだから。誠実だなあ、おれ。


 おとといの土曜の夜、血尿が出た。氷が溶けかけたアイスココアみたいな色のしょんべんだ。
 またやっちゃったか、と思った。『団地ともお』のアラマ投手なら、まちがいなく「あちゃー」という場面。
 自慢できるこっちゃないが、おれは血尿には慣れている。初めて体験したときこそ慌てたが、2回目移行は「またか」とうんざりする程度には慣れている。


 最初の血尿は20代がどん詰まろうという時期のことで、過労が原因だった。
 それまで、血尿は体を酷使するスポーツ選手に特有の症状だと思い込んでいたので、我が身から見慣れぬ色の液体が放出されるのを見てひるんでしまった。当時は慢性的な睡眠不足で仕事に終われてはいたが、肉体労働者ではないから、血尿は自分とは縁遠いものだと思っていたのだ。必要以上にびびって、仕事を2日休んだらあっさり治った。


 2回目以後の血尿の原因は、すべて尿管結石だ。石が尿道の内壁を削ることで出血したわけだ。
 「尿管結石より痛いのはお産だけで、男が体験するなかでは最大級の痛みである」なんてことがよく言われる。この話に、おれは反対しない。痛い。痛い。ものすごく痛い。人間が我慢できる限界を超えた痛みだと思う。だからすぐに病院に連れて行ってもらった。
 5日ほど入院した。結石という病気は、痛いときこそとんでもなく痛いが、傷まないときはまったく痛くない。熱がでるわけでもなく、体がだるくなったりもしない。一日のうちで痛みを感じる時間はトータルで2時間もないから、残りの22時間はたださぼってるだけだ。おれ、なんで入院してんだっけ、と思ったりもした。
 痛みに襲われるとナースコールで助けを呼び、モルヒネを注射してもらう。モルヒネってのはたいしたもので、我慢の限度を超えていると思った痛みが、注射してもらったとたんにすうっと引くのだ。それこそ引き潮みたいに消えていき、みょうに幸せな気持ちになる。多幸感ってやつだ。
 あとから聞いた話では、戦争で片足がぶっとばされた兵士でも、モルヒネによって痛みが消えるとか。そりゃ、法律で一般人の使用が禁止されるわけだ。


 3回、尿管結石を経験した。うち2回は入院した。我慢の限度を超える痛みは、医療に頼ると割り切ったから。
 入院しなかった1回は、痛みの兆しを感じてすぐに検査をしてもらい、クロの診断を受けたものの、その後何日経ってもいっこうに痛みが激しくならなかった。ドクターによれば「小さな石で、知らない間に流れちゃったんでしょ」とのことだった。


 石といえば、最初の結石のときは、しっかり"犯人"を確保した。小用と足すたびに茶こしを持っていき、しょんべんを濾していたのだ。
 尿道を通るときに激しい痛みがあるだろうと想像し、恐れていた。ところが実際には「ぐりっ」とした違和感をコンマ何秒という単位で感じただけだった。あとから考えれば、石が出たときの排出の感覚は"快感"と言えるかもしれない。だからと言って、それを味わうために尿管結石になるのではとうてい間尺に合わないほどの小さな快感。
 体外に排出された石は、じつに禍々しい形をしていた。長さは2センチほどもあった。細かな突起に表面が覆われた、ヨロイトカゲを思わせるような石だった。映画『エイリアン』の口の部分だけを切り取って裏表ひっくり返したような、と言ってもいい。これが血管をこすったら、そりゃ痛いはずだわ。


 おれは石のできやすい体質らしい。結石ができやすい奴は胆石もできやすく、歯石も同様だそうだ。体質なのでしょうがない、とドクターは言った。
 なので、今回の血尿も、疑うべき第一の容疑者は結石である。しかし、第二の容疑者の影もちらほらしていた。ワーファリンという薬だ。抗血栓薬という種類の薬で、血管のなかで血液が固まるのを防ぐ作用を持っている。強制的に血をさらさらにするわけだ。効果がとても高い一方で、治療域=服用する量のストライクゾーンがとても狭い。おれの場合、服用を始めたときは2グラムだったのに、0.25グラムずつ増えてきて、いまは3.5グラムものんでいる。


 先月の12日にダイエットを始めた。なにごとでも「楽しい」と感じているうちは苦労を感じない性分なので、成果は如実に顕れている。つまり、まだダイエットに飽きていない。体重はすでに7キロ減った。
 この7キロが問題だと思った。体重が減り、食生活が改善されたために内蔵の調子もよくなった。その結果、3.5グラムのワーファリンでは多すぎる体になったんじゃないか。ワーファリンは、一面だけを見れば人工的に血友病になるような薬だから、血尿が出ても不思議はない。尿管結石でない証拠に、痛みがまったくないではないか。そうだそうだ、そうにちがいない。
 しかし、土日で外来が休みのときに病院に行くほどのことじゃないな。月曜の朝一で病院に電話してみよう。循環器科の予約を一週間後の月曜に入れてあるから、それを前倒しにしてもらうように頼んでみよう。


 血尿の色は回を追うごとに濃くなり、ついに今朝の第一放流時ではホットココアの色になってしまった。お、いまの文、和文英訳の問題でつかえそう。おれには訳せないけど。ただし今朝のぶんは放流のなかばで色が薄くなり、しまいにはノーマルの色に戻った。「採尿時にいちばん悪い色を出してみせればワーファリンをたくさん減らしてもらえるかも」と思っていたので、目視では確認できない色になったことがすこし残念だった。しかし尿潜血反応を調べればクロになるのは確実だろう。


 お世話になっている病院は、電話で予約を入れるシステムを採っている。受付開始時間は9時。電波時計を見ながら9時きっかりにダイヤルしたが、まだ留守電だった。10分ほどリダイヤルしまくり、すこしイライラし始めたころにようやくつながった。
 電話用にまとめたメモを見ながら「できるだけはやく検査をしてほしい」と訴えた。おれは一昨年からその病院の循環器科にお世話になっていて、来週の月曜にも予約を入れてある。ヘタすりゃ「そのときに調べてもらって」となりかねないし、ふつうなら血尿の患者を扱うのは泌尿器科だ。でもおれは循環器科で診察してほしかったので、丁寧に交渉し、望みどおりの結果が得られた。事前にメモを準備していた効果だと思う。大事だなあ、準備って。


 循環器科で診てほしかった理由は、先ほど書いたワーファリンにある。一日でもはやく、ワーファリンをのまずに済む体になりたいのだ。なぜなら納豆を食べたいから。この薬をのんでいるかぎり、納豆、青汁、クロレラは厳禁なのだ。あとのふたつはどうでもいいが、納豆が食べられないのはつらい。だから、一日でもはやくワーファリンを減らしてもらえるように、1週間後を待たずに病院に行く決心をしたのだ。
 これがセオリーどおりに泌尿器科にまわされてしまうと、採尿後に腹部エコーをやって、硝酸カルシウムについての説明を受け、痛み止めを処方されておしまい、となるのが目に見えている。循環器科であればワーファリンを減らしてもらえる可能性がある。一週間後に予約したぶんの診察を前倒しできれば通院の手間も減る。


 予約センターの人が循環器科に内線をまわしてくれようとしたが、混んでてだめ。で、「いちど大代表にかけなおして循環器科につないでもらってください」となった。指示に従って大代表にかけたが、やっぱり循環器科の内線は混んでいるようで、10分ほど待った。
 ようやく循環器科につながった。予約センターにアピールしたのと同じ内容を繰り返す。結果、他の予約患者との兼ね合いから、「午前11時に来院して」となった。


 11時か。ひとつの問題があった。おれの膀胱のキャパシティーだ。朝イチ、午前5時の放流を済ませたあとは、採尿にそなえてトイレを我慢していた。はたして11時までタンクはもつのかと不安になった。このように用意周到に貯水をしていたのには理由がある。かつて、と言っても去年のことだが、採尿の予定があるのを忘れて、トイレでさっぱりしてから病院に行ったときの苦い経験。いちどタンクを空にしてしまうと、搾り出そうとしてもそうそう出るもんじゃないことを知ったのだ。
 この病院では、廊下を挟んで採尿室の向かいにドリンクの自販機がある。カップ式の、かなり多くの種類が選べる自販機。ずらりと並ぶボタンのなかに「お水」があって、これだけは無料。去年は水を6杯、およそ1リットルくらいたて続けに飲んで、なんとか採尿することができた。そのときに、6杯飲んだからといってすぐに出るもんじゃない、と知った。
 そりゃそうだよな、人間は筒や管じゃない。もし筒だとすれば、飲んだそばからダダ漏れだもんな。





 このような失敗を繰り返したくないので、適度な貯水量を保った状態で登院したかったのだ。しかし11時までにはまだ時間があるので、堤防決壊のおそれもある。
 そこでWii-Fitですよ、奥さん。室内で軽く運動することで、汗として水分を逃しておくのである。30分ほど有酸素運動をしたおかげで、なんとか決壊することなく11時までもった。軽く汗ばんだので、シャワーを浴びて病院へ。家から歩いて15分ほどの場所へ向けて、足早に歩く。


 循環器科の窓口に行くと、年配の看護婦さんがすこし離れた場所を指さして「あそこで問診票を書いてきてください」と言う。初診の患者向けの事務手続きである。「いや、初診じゃないし、毎月診てもらってるし、先月は入院までしてたし」などと説明するが、要領を得ない。どうやら"規則の人"のようだ。こういう人に対して「効果・効率・実質」をアピールしても時間の無駄になることは、よくわかっている。素直に従うしかない。


 でも一点だけ譲れないことがある。「膀胱がピンチなので採尿だけ先にさせてください」と、こころもち身をよじるようにお願いした。その願いは受け入れられたが、液体の入った紙コップは検査室にまわされることなく、看護婦さん預かりとなった。
 おれとしては、問診票より先に採血をしてほしかった。採った血を分析器にかけ、その結果が担当医に渡るまでには1時間ほどかかる。尿検査も同様だ。そのことをやんわりとアピールしてみたが、「採血は先生の指示があってから」の一点張り。無駄な待ち時間、決定。


 ……したかに思えたが、往生際の悪いおれは顔見知りの看護婦さんを見つけて、こっそり採血の許可を得た。採血後は分析にかかる時間がぽっかりと空く。待てない病でもあるおれには、待合室の椅子でぼーっとしていることができない。いちおう待ち時間に読むための本を携行してはいるが、できればじっとしていたくない。
 看護婦さんに「分析結果が出るまでに食事を済ませておきたい」と頼み、病院外に出た。この場合も、暇だからとかお腹がすいたからではなく、いかにも「食後の薬をのむため」という顔で聞くのがポイントである。
 無事にお許しをいただいて病院の敷地から出て、商店街に向かう。世間はお盆で、人通りが少ない。東京も、いつもこのくらい人が少なければ住みやすいのに、と思う。





 おれはダイエットを始めると、極端に外食の回数が減る。
 外食はどうしてもカロリーが高くなるから、というのがその理由だ。今回のダイエットは先月の15日に始めたのだが、なんと今日までいちども外食をしていない。ひと月ぶりの外食だ。何を食べようかなと商店街を歩きながら、鞄をチェックして青ざめた。
 なんつーバカか。財布も小銭入れも家に置いてきちゃった。


 ふつうなら病院にすごすご戻るところだが、脳がダイエットモードになっているためか、家に財布を取りに行こうと思いたつ。歩数が稼げるからだ。やや早足で部屋に戻り、汗を拭いているうちに「部屋で食べちゃえ」となって、いつもと同じ朝食を採った。トマトとバナナとシリアルと牛乳の、320Kcalセット。外食は次の機会までおあずけである。
 病院に戻るときは、風景を見ながらややゆっくり歩いた。看護学校の寮とおぼしき建物の横を通ったときに、道路に面した柵越しにあるオブジェが目に入ったので、写真を一枚。





 最初に見たときは七夕の短冊的なものかと思った。「ダイエット 成功したよ」って、学生さんがうれしくてつい書いてしまったんだろう、と。しかしあとで写真をよく見ると、ダイエットに成功したのはドラえもんだったのですね。時間差で和ませていただきました。


 病院に戻り、循環器科の待合いスペースでおとなしく待つ。この病院では、午前・午後それぞれ3人のドクターが外来の担当をしていて、「いまどの先生の何時の予約ぶんの診察が行われているか」がわかるパネルがある。手書き+マグネットプレートのアナログなシステムだけど、これがあるだけでも待つ辛さがずいぶん軽減される。
 ところが。他のふたりのドクターの診察は順調に進んでいるのに、おれの主治医だけホワイトボードに時間が書かれていない。どんだけ待てばいいのやら、と思って座っていると、そのドクターが遠くの廊下を歩く姿が目に入った。ひょっとすると午前の予約ぶんの診察が全部終わったつもりになってるんじゃないの? おれ、忘れられてる? 不安が頭をよぎる。と同時に「当日になって急に診てほしいとわがままを言ったのはおれのほうなんだから、手を煩わせちゃあいけねえ」という気持ちもあって、貧乏揺すりを我慢しながらさらに待つ。
 午後2時をまわったあたりで我慢の限界に達し、看護婦さんに確認すると、あっさり「次の番です」だって。なぜか循環器科でなく、内科に呼ばれ、ようやく診てもらえた。


 んで。血液と尿検査の結果に驚いた。
 なんと、潜血反応マイナス。「きれいなものですよ」とのことで、ドクターもしきりと首を捻っている。「今朝なんてホットココアだったんですよ」とアピールしてみたが、結果がマイナスと出てるんだからしょうがない。データからは尿管結石の可能性もほとんどないらしい。
 「血尿ではないのに血尿に見える症状って、どういったものがありますか?」と質問の角度を変えてみたが、「そういうことがないわけではないですが、今回のケースはそれにはあたりません」と、指示代名詞の多い答えが返ってきただけだった。
 結果、ワーファリンの量を3.5グラムから3.0グラムに減らしてもらうことができたのは収穫だったが、謎の血尿のせいで、来週も予定通り通院して検査を受けることになったのだった。


 ワーファリンに関しては、過去にも「服用するのを忘れたか、納豆を食べてしまったとしか考えられないくらい効いていない」というデータが出たことが2回ある。もちろんおれは薬をのんでいるし、納豆も泣く泣く絶っている。他の患者では起こりえないようなことが、おれや、おれの家族にはよく起こるので、こういうときは「なにかのお報せと思うしかないや」と考えることにしている。


 歩いて帰宅したときは午後4時をまわっていて、歩数は1万歩を超えていた。なんだかよくわからない一日だったが、疲れたことだけはたしかだ。


 だらだら日記、おしまい。ね、落ちがないでしょう。