喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

15杯め 水槽の底から見上げる


 一昨年、2009年の2月に退院したときの体力の衰えは、自分が思っていた以上のものだった。
 入院中のリハビリのおかげで「なんとか社会に戻してやってもよい」ところまで回復させてもらったから退院できたわけだが、"ふつうの"生活ができる水準にはまだまだ達していなかったのだ。事実、ひとりで電車に乗って1駅ぶんの移動ができるようになるまでに、退院してから1ヵ月以上の時間と準備が必要だった。

 歩いたり重いものを運ぶ体力だけでなく、気力もだいぶ衰えていた。RPGでいえばMPの底が尽きかけた状態で、ケアルやホイミが一回唱えられるかどうか、といったところだ。

 当時のおれの生活はRPGと密着していた。あるオンラインRPGを半分趣味、半分仕事でプレイしていたからだ。
 元気なときには意識しないものだが、ゲームで遊ぶにもけっこうな体力をつかう。画面のそこここに開くウインドーの情報を一瞬で読み取り、コントローラーで自分のキャラクターを操作し、同時にキーボードでチャットをする。
 病み上がりのおれにとっては、オンラインRPGのプレイ画面を流れる情報の量が多すぎて、すぐに溺れそうになった。ほんの数分プレイしただけで、「こりゃ当分だめだわ」とコントローラーを置いた。


 実生活のリハビリと並行して、ゲームのリハビリもしなきゃな。そう考えて手をつけたのが『ハッピーアクアリム』だった。本家は製品版として売られているが、おれが出会ったのはミクシィの無料アプリ版だ。ゲームと呼ぶよりは環境ソフトに近い。水槽で熱帯魚を飼育する、ただそれだけ。プレイヤーがすることといえば、水槽の掃除と魚のペアリングくらいで、反射神経はほとんど要らない。

 システムもグラフィックも、けっしておれの好みじゃない。全体的にぬるすぎるのだ。リアルさを追求しようなどといった姿勢はどこにもなく、水槽の中にはネオンテトラと同じ大きさの白熊が泳いでいたりする。






 唯一、ほんのすこしばかりのマウス操作が必要になるのが、トレーニングという名のミニゲームだ。これにしたって、ぬるいことに変わりはなく、強制横スクロールの画面で、進行方向から現れる障害物をクリックしてかわすだけのもの。自分の魚の移動すらシステム任せだから、作業や手続きと呼んでしまってもよいほど単調なものだ。これと比べたら『スーパーマリオブラザーズ』のステージ1-1のほうが32倍は難しい。

 このぬるさ、ゆるさが、当時のおれにはちょうどよかった。

 水槽の中の熱帯魚を見ながら思い出すのは、病院生活の初期のことだった。集中治療室で手足をベッドにしばりつけられてじっと寝ているだけの日々。右と左の手に合わせて3本、さらに両脚の付け根にもは点滴チューブ。鼻と口には酸素の管。胸には心臓の動きを監視するためのセンサーが取り付けられていた。尿管にもカテーテル。寝返りを打ったりしないように、足首は軽くベッドにくくりつけられている。人間タコ足配線だ。自分の意思でできることなど何もなかった。仰向けで、うす暗い天井をただ見ていた。

 食事も水分も点滴で補給されていたから、ナースコールの必要もない。24時間体制でカメラを通して監視されながら、ただ寝ているだけの日々。首すらも固定されていたから、視界に入るのは薄暗い天井だけだった。

 自分が軟体動物にでもなって、プールの底から水面越しに何かを見ようとしている。海ではなくプール、それも室内プールだ。もし見えたとしても、水面の向こうには病院の天井があるだけで、太陽などないのだから。そんな感覚とともに、時間がゆっくりと過ぎていくのを待っていた。

 『ハッピーアクアリム』の魚にエサをやっていると、自分が水底のタニシではなく、水槽を外側から見られる立場になったことが実感できた。魚はずっと水槽の中だが、自分はその気になれば太陽の下に行くことができる。ただそれだけのことが、大きな自由のように感じられた。


 翌年、このゲームはおれにとってさらに重要な存在になった。
 こんどは脳梗塞だ。ほんとうにおれはついていて、後遺症がほとんど残らなかった。ただひとつ、視野の4分の1が欠損した。眼球や視神経ではなく、脳の障害による欠損なのでもう治らないと言われた。

 人体とはじつによくできたもので、コンピューターで検査をすればおれの視野は左右ともにきれいに4分の1が欠けている。時計でいえば12時から3時までの90度ぶん。それならおれが見ている世界も4分の1が黒く塗りつぶされていそうなものだが、事実はそうじゃない。「『ちゃんと見えている』」ように見える」のである。おそらく脳がめまぐるしいスピードで働いて、周囲の情報を収集・分析し、あたかも視野が欠損していないかのような映像を見せてくれるのだ。これはこれでとてもありがたいことだ。しかし、本当は見えていないのに見えた気になることは、大きな危険や事故の呼び水になりかねない。

 おれの視野は欠けている。そのことを忘れないため、つねに自覚して行動するために役だったのが『ハッピーアクアリム』だった。右にむかってスクロールするトレーニングの画面が、格好の"指摘者"になってくれた。

 それまでだったら頬杖をつきながら楽にクリアできていたこのミニゲームが、おれにとってはどえらく難しいアクションゲームに化けた。作業から真剣勝負への格上げだ。眼の焦点を自分が操作する魚に合わせると、右側から迫ってくる障害物がまったく見えなくなる。本当は右から徐々に近づいてくるはずのものが、死角のトンネルをワープするように、突如として魚の前に出現するのだ。不思議というか、精妙というか、背景はずっと見えている。右から迫ってくる障害物だけが消えていて、突如として自分の魚の隣に出現するのだ。

 これをどうにかするためには、視点をめまぐるしく移動させる必要がある。視野の中心なら見える。右側は見えない。ならば全部が中心になるよう、視点をつねに移動し続ければいい。こんなことは病院の眼科では教われない。ゲームだからこそ教えられるもの、がたしかにあるのだ。



 こうして『ハッピーアクアリム』はおれにとって不可欠な道具となった。視点移動の練習ツールとして。そして「おまえの視野は欠けてるんだぞ」と繰り返し教えてくれる警告者として。


 その『ハッピーアクアリム』のサービスが9月いっぱいで終了した。
 最終日は事前に予告されていたので、すべての熱帯魚を海に放流しておしまいにしようと考えていたのだが、このささやかな計画は実現きなかった。おれはサービス終了の時刻を30日の23時59分だろうと思い込んでいたのだが、どうやら終了の処理は日中に行われてしまったようで、ログインを試みたときにはゲームじたいがメニューから消えていた。じつにあっけない幕切れだった。


 『ハッピーアクアリム』には製品版も存在するから、続けようと思えば続けることができる。もちろん、1匹めの魚を育てるところからやり直すことになるが。
 でも、おれにとっての『ハッピーアクアリム』はもう終わったのだ。


 欠損した視野への対処法は覚えさせてやった。そろそろ次のステージに進んだらどうなんだ? と、眩しい場所から誰かが言っているような気がする。

14杯め TMOダイエット


 ダイエットの本質はエネルギー(カロリー)の出納管理だ。出納。小学生のときに"読みかたの難しい漢字"として山車や境内といっしょに習った覚えがある。意味を知ったのはずいぶんあとになってからだった。

 おれが実行しているダイエットの方法は、基本の部分だけを見ればおもしろくもなんともない。毎日朝と夜の2回体組成計に乗り、カロリズムを持って散歩し、口に入れたもののカロリー記録する。
 インよりアウトが多ければ体重が減るし、逆なら太る。ただそれだけ。当たり前なことを信じて、当たり前なことを当たり前にやる。結果、当たり前に体重が減る。

 それだけだとすぐに飽きちまうから、タワケの要素も積極的に採り入れる。
 いくつか試した中で、思いつきのあほらしさとは裏腹に効果があったのが、TMOダイエットである。ティーエムオーダイエット。なんかの略じゃない。ただのダジャレだ。正式には剃毛ダイエットという。

 きっかけは偶然だった。気の迷いと言ってもいい。
 7月に心臓カテーテルのために検査入院をした。おれがお世話になっている病院では、施術前に太ももの毛を剃ることが義務づけられている。検査のための管は手首から体内に侵入させるから、何事もなければ太ももは関係ない。しかし検査中の「不測の事態」を不測でなくすために、ぶっとい動脈のある脚の付け根もあらかじめ整備しておくのである。

 カテーテル検査のために入院するのは検査の前日。マンガなどでよくある「若い看護婦さんが剃ってくれる」的なサービスは、ない。おれのような元気な患者は、刃の部分が使い捨てになっている電気シェーバーを渡されて「風呂場で剃ってくるように」と命じられるのである。





 世界のフィリップである。世界のフィリップではあるんだけど、シェービングフォームなどがないので、お湯と石鹸だけで剃ることになる。しかも入院棟の浴室は共同だから、剃っているときに他の患者が入ってきたりすると、かなりバツが悪い。あたふたしていろいろ切っちゃいそうにもなる。挟んじゃったりもする。他人が入ってくる気配に怯えながらの剃毛だから、仕上がりも雑になる。いいことなんかひとつもない。

 ということを最初の検査入院で学んだおれは、つぎからは自宅で完璧に剃り上げてから臨むようになった。
 で、気まぐれは今年の7月、検査入院当日の朝に訪れた。大腿部を剃り上げるついでに、ここもそこもあそこも、いろんなところを剃りたくなったのだ。
 1時間後には、頭髪と眉毛、膝から下の3箇所を残して、すべての体毛がなくなっていた。おれはかなり毛深いほうなので、つるつるの体が自分でも新鮮だった。子どものちんちんを忘れない大人になった気がした。

 剃ってみていちばん驚いたのは脇の下だった。毛がない脇の下ってのは「えぐれてる」ものだと思っていたのだが、脂肪たっぷりのおれの脇の下はえぐれるどころか盛り上がっている。よくない脂肪が肌の下にあることがひと目でわかるこんもり具合だ。はっきり言って醜悪である。
 さらに己の全身を観察して、「毛があったからごまかせていた部分」がいかに多いかを知った。黒にはものを引き締めて見せる効果があるし、発毛地帯は"視線の的"となることで、たるんだ体から意識を逸らせる効果を持っていたのだ。
 単調な肌色だけの裸身は、自分で見てもみっともないフォルムだった。これはいかん、毛に頼らないまっとうな体にならねばいかん。素っぱだかのおれは浴室でダイエットを決意したのだった。

13杯め 即席オールドコーヒー


 NHK『ためしてガッテン!』のファンである。
 番組の構成が丁寧すぎるため、観ていてじれったくなることもあるが、すばらしい番組だと思っている。あの番組が行う実験と検証の誠実さを信用しているし、何より扱うテーマがおれにドンピシャなのだ。健康(おれは「病気」として観てる。糖尿病、心筋梗塞脳梗塞、高血圧……すべて当てはまる)、料理、ダイエット。NHKに払っている受信料は、この番組と『おじゃる丸』で元が十分取れてると思えるほどだ。

 その『ガッテン』の今週のテーマは『ついに皆伝!京料亭に伝わる昆布ダシの奥義』だった。20余年もの長期にわたって保存することで、昆布は格段においしくなる。今回は、その20年を2時間に縮める方法を教えてくれていた。

 番組中、アミノカルボニル反応という単語が出てきた。ん、なんか聞いたことがあるぞ。そうだ、コーヒーの焙煎で重要な役割を果たすメイラード反応のことじゃないか。高校時代、化学も生物も苦手だったおれがこんな単語に反応するようになるなんて、趣味の力はなんと偉大であることよ。

メイラード反応 - Wikipedia

 「この昆布用の技、ひょっとするとコーヒーに応用できんじゃねーの?」と思った。幸いにも手持ちの道具だけで試せる方法だったので、さっそく実験してみた。

 『ガッテン』の番組内容は → こちら

 実験内容は、番組の"昆布"を"コーヒー生豆"に置き換えただけ。かいつまんで書くと、こうなる。

 生豆を日本酒に漬ける
 ↓
 オーブンで加熱する。110度で1時間
 ↓
 焙煎


 おれもまるっきりのバカではない(と思っている)ので、この思いつきがすばらしい結果を生み出すとは考えていない。それほど楽観的じゃないよ。結果について事前に思い描いた円グラフはこんな感じだ。



 円グラフにするまでもなく、「まあ失敗するだろう」と予想していた。焙煎の段階までたどり着けないことも十分に考えられる。と、検証前にあらかじめがっくりしておくことで、本番でのショックを緩和しておこうというせこい知恵である。

 事前に考えられる問題点として、昆布とコーヒー生豆の"処理後の扱い"の違いがあった。昆布は110度のオーブン後に出汁として利用されるので、100度までの熱にしかさらされない。一方のコーヒー生豆は、焙煎されるわけだから200度を越える高温で熱せられることになる。
 さて、この違いがどう結果に影響するものか。

 さっそく実験開始。

 「どうせ失敗すんだから」と思っているので、あまり高い豆はつかえない。半端に25グラムだけ残っていたマラウィのゲイシャ・チャカカがあったので、それをつかうことにした。



計量。キッチンメジャーはもちろんタニタ。




欠点豆をハンドピックする。発酵豆などの著しい欠点豆は
なかった。3粒ほどはじいてつぎの段階へ。




水洗い。豆をネットに入れて流水で洗う。
この段階でチャフを減らしておかないと、
オーブンの中がたいへんなことになりそう。




1分ほど洗ったら、タオルの上に広げる。
死豆がないかをチェックしつつ、水気を
拭き取る。この段階で豆の緑が濃くなる。




小皿に豆を入れ、全体を日本酒に漬ける。
今回は1分ほど。つかったのは剣菱だ。




いったんザルに豆をあげ、日本酒を切
ってからトレイの上に豆を並べる。で
きるだけ重ならないように。センター
カットが上を向くように並べてみた。




この間にオーブンを110度で予熱して
おく。じつはオーブン機能初体験だ。




トレイを設置して、60分待つのだぞ。
写真で見たらレンジがばっちかったので
画像を色鉛筆風に加工してごまかす。




60分後。近くで見ると色ムラがあるが、
遠見にはきれいに炙った感じになった。
この時点で25→23グラムになっていた。


 この先は焙煎なのだが、なにぶん煎り上手をつかってひとりでやっているので撮影する余裕がない。
 ふだんの焙煎と大きくちがったのは、1ハゼが来た段階で、すでに豆の色がかなり濃くなっていたこと。1ハゼが来たのも焙煎開始後5分で、同じ火加減でいつも焙煎している感じよりも3〜4分早かった。2ハゼまで煎るつもりだったが、みるみる豆が黒くなっていったので、墨になる前に、1ハゼ開始後2分30秒で焙煎を終了した。



2ハゼ前とは思えない色。ハイロースト
なのに色は堂々のフレンチである。




焙煎後の豆は20グラム。これをすこし粗めに
挽いて、ネルドリップで抽出した。

 で、味の感想。
 失敗するだろうという予想をうれしく裏切って、苦味がドスンと来る堂々たる深煎りのコーヒーになった。おもしろいなと思ったのは、あと口にスパイス系の感覚があったこと。でも喉に張り付いて咳き込むようなスパイスではなく、「大人じゃん」と言いたくなるような感じ。
 仮に、ふらっと入った喫茶店でこのコーヒーが出てきたら、おれは「やるじゃん」と思うだろう。

 実験はひとまず成功と言えるだろう。
 反省点は、実際の焙煎度合いと経過時間がおれにとって未知の関係になったこと。「1ハゼと思ったのが、じつは2ハゼだったのか」と考えたくらいで、もしそうであれば納得のできる色と味だった。しかしオーブンの中で1ハゼが起きた様子はなかったし、焙煎前の豆の状態も"ダブル焙煎の前半"よりも浅い感じだったから、その可能性は低いと思う。

 もう一度実験することがあれば、オーブン1時間のあとで、豆をしっかり冷却してやってみようと思う。今回は熱が取れる前に焙煎しちゃったから。
 今回は余った豆25グラムをつかったが、結果的にはそれでちょうどよかった。30グラム以上あると、オーブン用の皿に隙間を保って並べられないから。大量生産には向かない方法、ってことだな。

12杯め カロリズムでダイエット(後編)


(前編は → こちら)

 初期不良品をつかんでしまったのが怪我の功名となり、タニタへの印象がよくなった。そんなおまけといっしょに、おれのダイエット生活にカロリズムが加わった。これが前編のあらすじね。

 カロリズムを身につけて生活するようになったのが8月6日。それから2ヵ月かけて、あるデータが集まった。ちらっと公開するまえにひとくさり、"7200Kcalの運動で体重が1キロ減る"ってことについて触れておこう。

 7200Kcal。ダイエットをしていない人にとっては「なんのこっちゃ」な数字だろうが、減量中の人ならピンとくるはず。
 脂肪1キロを燃やすと9000Kcalの熱量が得られるらしい。ただし、1キロの脂肪の中には約20%の水分が含まれているのでこれを差し引いて、9000×0.8=7200。すなわち脂肪1キロ=7200Kcalなのだそうだ。

 ここから先が怪しくなってくるのだが、「じゃあ7200Kcalのエネルギーをいつもより余分に消費すれば1キロ痩せるんじゃないの?」と考えた人がいた。それが広まって、
「(摂取エネルギーと消費エネルギー)の差が7200Kcalになれば1キロ痩せる」
という話を信じるダイエッターがけっこういるようなのだ。

 "脂肪1キロ=7200Kcalだ"というのは正しいんだろうな、とおれも思っているが、等号の前後を入れ替えたような"7200Kcalセーブすれば1キロ痩せる"となると、ちと怪しい。なぜなら人のエネルギー源は脂肪だけではないからだ。エネルギーを消費するときには"燃える原料の順番"があって、体内の小人が脂肪を燃焼炉にくべ始るまえに、まずグリコーゲンがつかわれるのである。

 「脂肪が燃えるのは運動を始めた15分後から」とか「小分けに運動しても脂肪は燃えるらしいぞ」なんてことがダイエッターのあいだで話題になるのも、この"順番"があるからだ。いきなり脂肪を炉にぶち込めるのであれば"7200Kcalセーブすれば1キロ痩せる"理論の信ぴょう性もぐっと高まるわけだが、それはあくまで「ならば」の話で、現実はそう甘くない。ウォーキングの第一歩めから脂肪の燃焼が始まってくれるなら、こんなに楽なこともないんだけどね。そこらあたりの"夢"につけ込んだ怪しい製品がいっぱいあるけど、騙されちゃいけませんぜ。 

 ここから先はおれの勘のようなものになるが、「でも、7200Kcalで脂肪が1キロ減る"って、じつはそう間違ってもいないんじゃないか」と感じたのだ。さすがにちょっとは効率が落ちるだろうから、8掛けにして7200Kcalで0.8キロ、1キロ減らすには9000Kcalの"エネルギーの赤字"を出せばいいんじゃないか、と思ったのだった。根拠はない。あくまで希望混じりの勘ね。

 では実際にはどうなのか。「カロリズムをつかってそれを検証してみよう」と思い立ち、2ヵ月かけてある程度のデータを集めた、というのが今日のこと。
 具体的には、基礎代謝、総消費エネルギー、摂取エネルギーの3項目を毎日記録し、
(総消費エネルギ)マイナス(摂取エネルギー)
の差を累計していった。日々の赤字エネルギーを積み立てていったわけだ。これがお金の赤字だとたいへんなことになるが、ダイエッターにっとってエネルギーの赤字は大歓迎なのである。
 その累計が7200Kcalの10倍=72000Kcalになるまでダイエット生活を続け、結果を見て「ほんとはどうなのか」を考えてみよう、というわけ。

 この企てを思いつくのは簡単だったが、実行するのには精神力というか、"ダイエット生活への慣れ"が必要だった。と言うのも、
(総消費エネルギ)マイナス(摂取エネルギー)
の値を毎日マイナスにしようと思ってしまったから。つまり、"理論的には毎日痩せ続ける食生活・運動生活"を続けたってことだ。日によって「食べ過ぎちゃった」とか「ちっとも運動しなかった」ってのが普通のダイエッターの生活だし、実験の結果にもかえって"人間味"が加わってよいことだと思うのだが、ほら、おれはガキだから。一度決めたらゴールまで最短距離で走らないと、途中で飽きちゃう危険があるんですよ。それを自覚してるもんだから、毎日必ず"摂取エネルギーのほうが下回る"ようにしたのだった。
 ただし、あまりに食べないと体を壊すので、すくなくとも1200Kcal、できれば1500Kcalは摂取するようにした。結果、寄り道をほぼすることなくデータを集めることに成功したのだった。

 そうそう、この実験(と言うほどしっかりしたものじゃないけどね)には、様々な誤差が含まれていることを書いとかないと。

 まず、カロリズムの測定精度が絶対ではない、ということ。そりゃそうだよね、こんな小さな機械で、ばっちり正確な値が出るわけがない。そもそも、研究所にあるような大掛かりな設備をつかったところで、本当に正確な運動量や消費エネルギーが計測できるのかと言ったら疑問が残るもの。
 加えて、カロリズムによる計測の準備として体重や歩数などの設定があるんだけど、この期間のおれの体重は日々変化していて、それをリアルタイムで設定値に反映できているわけではない。つまりデータ収集の時点から誤差まみれなのである。

 さらに摂取エネルギーの計算だった怪しいものだ。たとえばミスタードーナツのオールドファッションを食べたとき、おれはサイトで調べて277Kcalと記録する。でも、この数字が本当に正確なのかはわからない。食品のエネルギー表示には2割までの誤差が認められているし、自分で食材を買ってきて調理した食事のエネルギーにいたっては、誤差はさらに増すはずだ。そして、この期間のおれの食事の大半が自炊なので、摂取エネルギーについても"あくまで目安です"と言うしかない。

 つまり、(消費エネルギー)マイナス(摂取エネルギー)という式の、引くほうも引かれるほうも、たんまり誤差を孕んだ数字だってことだ。そんなことは記録をつけ始める前にわかってたけど、"あくまで目安です"の自分なりの"目安"がほしかったのだ。"ダイエットのゲーム化"のオプションとも言えるだろう。

 そんなわけだから、このデータはおれ以外のダイエッターにとってはあんまり価値がないとも言える。でも、いいのいいの、"時間と自分の体をつかった遊び"だから。ついでに体重も減って、そうなれば心臓も血管もよくなるはずなので、一石二鳥、三鳥という目論見でデータ収集生活に身を投じたのでした。

 で、実際のデータが以下のもの。
 各項目について解説すると、こんな感じ。
・日数 記録を始めてからの経過日数。単位:日
・減量体重 測定を開始した日を基準として、そこから何キロ体重が減ったか。単位:キログラム
・減量脂肪量 減った体重の中で脂肪が占めるもの。測定値はタニタの体組成計インナースキャンによる。単位:キログラム
・累積赤字 いやな名前だなあ。赤字の累計ね。単位:10000Kcal

 と、さんざん引っ張ってからエクセルシートを載せようと思ったんだけど、試してみたらちょっとうるさくなりすぎたので、簡単なグラフだけを貼りつけておく。
 データが欲しいという奇特な方がいればメールに添付するなどの形で差し上げましょう。タニタさん、いらない?



軸の設定、まちがってるよなあ……

 結果(傾向)としてわかったのは、おれの場合は7200Kcalの赤字でで体重が約1キロ減って、そのうち脂肪は700グラムちょい、ってことだ。

 結論:世間で言われてることはあながちまちがっちゃいない。
 引っ張ったわりにテキトーな結論ですまんね。でも、おれは満足。

11杯め カロリズムでダイエット(前編)


 ダイエットに必要な道具の第一は体重計だ。何はなくとも体重計。デジタルの体脂肪計でも体組成計でも、アナログの大雑把なものでもいいと思う。とにかく毎日自分の体重を量ること。そしてその数字を直視して受け入れること。ダイエットのすべてはここから始まるし、毎日体重計に乗り続けてさえいれば、他のことをまったくしなくても「ダイエット中」と言ってよいと考えている。
 極論を言えば、体重の数字なんてどうでもいい。「自分の体の重さ」について読み上げる裁判官の前に立つ覚悟と勇気、それがダイエットなのだ。

 では体重計に次ぐ第二のアイテムは何か? 人によって答えは違うだろうし、「体重計があれば十分である」という潔さも正解だろう。つねに体重計がどんと構える表彰台の第一位と、第二位が乗る段には大きな差があると思うが、おれは歩数計を推したい。
 何度もダイエットに挑戦してはリバウンドを繰り返す中で、"脂肪を減らすには歩くのがいちばん"という結論に達した。いま続行中のダイエットも、作戦の柱は「摂取カロリーの管理」と「歩くこと」だ
 結果にせよ経過にせよ、数字として見えることが好ましい。とくにおれのような幼稚な人間は、数字がないと不安になる。「今日の歩数は○○歩で、体重はこれだけ減った」と数字としてわかることがダイエット継続のモチベーションになる。結果と経過がモチベーションとなり、つぎの結果と経過を生み出すという"プラスの螺旋"だ。

 歩数計との付き合いはけっこう長い。初めてのものは王様のアイデアで買った「とにかく歩数がカウントできるだけ」のものだった。かつて歩数計は万歩計と呼ばれていて、イメージとしてはお年寄りの道具だった。持つのがちょいと恥ずかしい道具でもあった。
 だんだん、やれ東海道五十三次バージョンだ、奥の細道仕様だのと、目先に変化を加えたものが登場し、さらには『てくてくエンジェル』やら『ポケットピカチュウ』といった子どもや女性を対象としたものも発売されることで、ユーザー層がずいぶん広がった。それが10年とすこし前だろうか。もちろんおれはほとんどのものを試した。

 歩数計をいろいろ試す中で、いちばん気に入ったのがオムロンのHJ-720ってやつ。初期モデルが発売されてからけっこう経つが、いまでもマイナーチェンジを加えられた機種が買える。
 これの優れたところは、まず歩数のカウントが正確なこと。ただ、本当に正確なのかどうかはわからない。おれが複数の歩数計を身につけて生活する中で「オムロンがいちばんちゃんと数えてそう」と感じただけなので。もうひとつの良さは、パソコンとの連動機能があること。おれがつかい始めたときは歩数計本体とパソコンをUSBケーブルでダイレクトに接続することでデータをやりとりしていたが、最新機種ではBluetoothにも対応した通信アダプターが付属しているようだ。エクセルを用いてダイエット生活の管理をしている人には好適な機種だと思う。
 とにかくおれはこの機種が気に入って、洗濯したりトイレに落としたりして壊してしまうたびに買い換えて使い続けてきた。今回のダイエットを始めるまえにも洗濯してしまい、3日干しても直らなかったので「買わねばの娘」と思っていたのだった。

 でも、ちがうのを買っちゃいました。
 いま身につけているのは、タニタの活動量計。その名もカロリズム。オムロンからタニタに鞍替えした理由は単純で、タニタの本社が家から近く、散歩でよく前を通るから親近感が湧いてきた、というもの。さらにタイミングよくタニタが取り上げられた番組をテレビで見て、「これはいい会社だ。信用できる」と、オムロンからコロッと寝返っちまったのだった。すまんね浮気性で。

 カロリズムは歩数計ではなく活動量計だ。なにが違うかってーと、歩行以外の運動・活動の強度や時間を測定し、「一日でどれくらいエネルギーを消費したか」がわかる点である。歩数計の正常進化版と言ってよいと思う。
 カロリズムはシリーズ名で、いくつかの製品がある。おれはその中で、『AM121 カロリズムスマート』ってのを買った。サイトを見たら"フラッグシップモデル"と書いてあって、「どうせ買うならいっちゃんいいやつ」と思ったので。「買えるのであれば最上位機種を買っとけ」というのが、長年の経験から得た、後悔しないための知恵なのだ。

 ネット通販で、送料込みで5000円ちょいだったと思う。
 実際に手にした現物は、想像よりも小さかった。ひと目見て「いいじゃん」と思った。
 まず感心したのはパッケージがすっきりしていてかっこよかったことだ。コンパクトでありながらフラッグシップ感が漂っていた。
 もうひとつ、装着のためのアダプターが2種類あったこと。胸ポケットに入れておくのがノーマルな使いかたのようだが、電池蓋と一体化したアダプターを換装することで、マグネット式やクリップ式に変えることができるのだ。

 逆に、ちょっと困ったなと感じたのが操作ボタンの押しにくさ。毎日つかっているうちに、「誤作動を防ぐためにはしかたがないことだ」と納得できたが、ボタンが小さくて押しづらい。また、かなり多機能なカロリズムの計測・表示機能を3つのボタンだけで切り替えるための操作方法を覚えるのにも苦労した。おれの物覚えが悪いだけかもしれないが。
 もうひとつ、現在の技術の限界ということなのだろうが、「上半身に装備しないと正確な値が測れない」というのも、すこし残念だ。夏場でTシャツだけのときは、どうしたってカロリズムが丸見えになる。おれみたいに外見を気にしなくなったおっさんならともかく、若いお嬢さんだとちょっと恥ずかしいかもしれない。もちろんそのあたりを考慮したデザインになっているのだが、やっぱり「歩数計は年寄りくさい」という初期イメージの尾てい骨はまだ残っているように感じる。

 届いたその日からおれとカロリズムのダイエット生活が始まった。……とはいかなかった。
 どうやら初期不良の個体をつかんでしまったようで、電池が半日で切れた。サンプル用電池だからといって、半日はあまりに短い。さっそくタニタのユーザーサポートに電話をしたところ、「山形にある工場まで送っていただき、検査後に修理または交換させていただくことになると思います」との回答。
 山形かよ! 「もうおれの気持ちはカロリズムなんだ。そんなに待ってらんねえよ」と、そのまま言うとただのクレーマーになりかねないので、「実は本社の近くに住んでいるので、可能であれば本社に持ち込んで預かっていただきたい」と頼んでみた。タニタ、快諾。いい会社だ。訪問の大まかな時間を決め、担当者名を教わって、翌日散歩がてらタニタに向かった。



タニタ本社。散歩でよく通る場所だが、
中まで入るのはもちろん初めて。
もちろんタニタ、無論オムロン


 翌日。カロリズムをただ預けるだけ、とおれは思っていたが、じつに丁寧な対応をしてもらった。どこか"技術"のにおいのする年配の男性が丁寧に話を聞いてくれ、その場でドライバーを華麗に操ってカロリズムを分解し、いろいろ見てくれた。結局は工場送りになるとのことだったが、「工場から戻るのを待たずに新品を送らせていただきます」というナイスな対処。結果、翌日に新品が自宅届いた。カロリズムの設定や、タニタの他の製品についてもいろいろと話を聞かせてくれて、さらにタニタファンになって門を出た次第だ。



ショーケースに並んだタニタ製品について
興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。




あの後ろ姿は、憧れの"タニタの社員食堂"
で働く女性にちがいない。おれも食べたい。


 後編に続く。

10杯め コーヒーの日とスターバックス

コーヒーの日とスターバックス


 10月1日は『コーヒーの日』だそうだ。

 と聞いたときに、反射的にカチンときてしまった。語呂合わせの記念日や、「話題のための話題」を憎々しく思っているから。前者だとたとえば『いい夫婦の日』。なんだそれ。余計なお世話だ。後者だと、ユーザーが増えつつあるザ・インタビューズみたいなの。人に話をしたい、聞いてほしいって気持ちならまだわかるけど、「人に話を聞かれたい」って、精神構造がもつれちゃってるよ。自意識過剰をこじらせた状態とでも言おうか。

 で、コーヒーの日。
 おれが邪推したのは「10」を力づくで「CO=こ」と読み、「1」を「ひ(ー)」とする、道理そこのけの語呂合わせなんじゃないか、ってことだった。でも調べたらちがってた。
 今日をコーヒーの日と決めたのは全日本コーヒー協会で、1983年のことだそうだ。おれが大学生になった年。ずいぶん昔だね。
 「コーヒーの年度始めが国際協定によって10月と定められていること」が日付の理由らしい。もうひとつ、「秋から冬にかけてコーヒーの需要が上がる」ってのもあるんだって。語呂合わせの5月1日とかじゃなくてよかった。

 このコーヒーの日を狙ったかのように、プレゼントが届いた。チャイムに呼ばれてドアを開けると、大きな箱を抱えた飛脚のおにいさん。通販はよく利用するほうだが、そんなに大きな物を注文した覚えはない。同じ建物に住んでる実家宛ての荷物で、部屋番号を間違えたのだろうと思って確認してみた。おや、たしかにおれ宛てで、スターバックスからだと言う。

 ああ、言われてみれば心当たりが。でもまさか……と思って梱包を解いてみる。最初に出てきたのがこの紙だ。





 スターバックスの15周年記念キャンペーンにネットで応募したことをすっかり忘れていた。「当たっても末等だろう」程度の軽い気持ちで応募したのが、なんと特等、A賞、とにかくいちばんいいやつ。
 段ボールが大きかったのは、デロンギのエスプレッソメーカーと、エスプレッソに必要なものが一式詰まっていたからだ。

 ありがてえな、こりゃ。春から縁起がいいや。秋だけど。スターバックスにお礼しなきゃな、と思い、段ボールの中身を引っ張り出すまえに最寄りのスターバックスに向けて歩きだした。

 スターバックス。日本にすっかり定着したこのコーヒーチェーンに対して、おれはすこし屈折した感情を抱いている。
 会社や店や商品ではなく、スターバックスが大好きだった"ある人"にまつわる"コーヒーよりも苦い思い出"がたくさんあるからだ。その人はスターバックスが日本に上陸する以前からのファンだった。初めて会った日に、自分で焙煎したフレーバーコーヒーをくれたくらいだから、コーヒー全般に対して豊富な知識を持っていたのだと思う。

 アメリカにおいしいコーヒーショップがある。スターバックスという名の店だ、と海外旅行が趣味だったその人は言った。のちにおれが仕事でアメリカに行くときには、いつも「現地のスターバックスでオリジナルタンブラーかマグカップを」とおみやげを指定されるようになった。銀座に日本第一号店がオープンしたときだって、初日でこそなかったが、すぐに連れて行かれた。

 スターバックスのコーヒーについて、おれはとくに深く考えるでもなく「けっこうおいしい」と思っていた。そもそも、おれがコーヒーの味や香りについて真剣に考えるようになったのはここ数年のことで、「苦けりゃそれでい」程度の時期が長かった。そんなバカ舌だから「なるほど、これがおいしいコーヒーってことね」と、評判と評価をとりちがえたような捉えかたをしていた。

 伏せて書くのが面倒なので言ってしまえば、それはおれの妻だった人だ。過去完了形。いろいろなことがありすぎて、おれにってのスターバックスは、そこで飲むコーヒー以上の苦味を感じさせる存在となっちゃった、というわけだ。

 意識してコーヒーを味わうようになったいまでは、それなりに知識も増えた。スターバックスについては、コーヒーを楽しむうえで無視することのできない大きな存在だと認めながらも、なかなか足が向かない。
 「いい豆をつかってるみたいだけど、アメリカで焙煎した豆を運んできてるらしいから、鮮度はどうだかね。生クリーム入りのデザートドリンクとしてはおいしいけどさ」などと思いながら、店を横目に通り過ぎるだけだった。
 いつかスターバックスのドリップコーヒーを真剣に味わって、おかしな方向に傾いているにちがいのない自分のイメージを修正しないと、と思いながら、やっぱり店の前を素通りし続けていた。

 そんな状態でも、コーヒーに興味を持っていればスターバックスの情報がどうしたって耳に入る。15周年記念のキャンペーンに応募したのだって、公式サイトのチェックだけはしていたからだ。
 そして、特等が当たった。ふつうは当たらないよね、こういう賞は。こりゃもう「もう一度飲みに来てみなよ」とスターバックスが言ってるとしか思えない。

 賞品の荷解きをするまえに自宅からいちばん近いスターバックスへ向かった。おれが暮らしている板橋区はスターバックス不毛の地のようで、ショップが2店しか存在しない。そのうちの片方が我が家から1キロ弱の場所にある。ただし、「そこにスターバックスがあららしい」とだけは知っていたが、場所が特殊なので通りすがりに見かけるようなことはなかった。
 「日本大学板橋病院店」。大きな総合病院の敷地内にあるのだ。





 病院の構内にあるスターバックスへにいちばん近い入口がこれ。横を通ったところで、タクシー乗り場の向こうにスターバックスへがあるとは誰も思うまい。
 この病院とおれは、縁がありそうでなさそうで、やっぱりありそうという不思議な関係だ。30年以上も昔のことだが、父が突然倒れて運び込まれ、そのまま息を引き取ったのがここだった。そのときおれは300キロも離れた場所にいたため、日大病院には行かずじまいだった。
 いまおれが暮らしている部屋の隣には、この病院に勤める医師の一家がすこし前まで暮らしていた。その一家の前にも、日大病院勤務の医師や医学生が借りることの多い部屋だった。つまり、おれの住まいと日大病院はそれほど近いということだ。





 敷地内に入っても、どこにスターバックスがあるのかがわからない。売店で道順を聞き、「ほんとにあるのかね」と半信半疑で店を探した。
 たしかにスターバックスがあった。ただしカウンターだけの小さなスペースで、客は当然のように見舞い客と入院患者だから、いわゆる”スタバユーザー”的な人はいない。スターバックスを求めてわざわざ病院構内まで来た人間など、この日はおそらくおれだけだったろう。





 300円のドリップコーヒーは、予想していたよりもおいしかった。深煎りの、がつんとくるコーヒー。レシートを見ると、ドリップコーヒーを飲んだ日のうちであれば、他店であっても2杯めが100円になると書いてあった。これはうれしいサービスだな。





 もう一杯、"スターバックスの味"を覚えるためにエスプレッソを注文した。このところドリップコーヒーばかり飲んでいたので、エスプレッソは久しぶりだ。「ほんとにちょびっとなんだなあ」なんて思いながら、デミタスカップに淹れてくれたエスプレッソを飲んだ。
 キレ、コク、苦味。同じコーヒーでありながら、ドリップされたものとはまったく異なるおいしさ。もう一杯、といきたいところだったが、続きは家で淹れればいい。





 足早に家に向かって歩く。8分ほどで着いた。しかも直線。思っていたよりずっと近い場所にスターバックスがあったんだな。
 段ボールの中身を検める。気前よく詰め込んでくれたな、こりゃ。エスプレッソマシンだけでなく、フォームドミルクをつくるためのミルクピッチャーのセット(デロンギ製)、エスプレッソ用に焙煎されたコーヒー豆250グラム(グラインドはされてない)、15周年記念のオリジナルショットグラス2つ、そして15周年オリジナルのタンブラー。

 こういった懸賞やキャンペーンでは、"本体"だけをプレゼントして「ほかに必要なものは自分で買い揃えてね」というケースが多いと思う。ところが今回はすべてが揃っている。たくさんのものをもらえたから嬉しい、という気持ち以上に、「さあどうぞ」というスターバックスの姿勢に頭が下がる。





 ショットグラスの底からセイレーンが見てる。現行のひとつ前のロゴだが、COFFEEの文字があるぶん、こちらのほうがおれは好きだ。





 マニュアルにひと通り目を通して、エスプレッソを抽出してみる。
 「問題は粉のグラインドだよな」と思っていたが、なんとか合格点の粉が挽けたと思う。









 趣味としてコーヒーの世界に首を突っ込んだものの、目はエスプレッソには向けていなかった。その最大の理由が"マシン"だ。高い圧力をかける必要のあるエスプレッソの抽出は、専用のマシンを要求する。また、通常のドリップコーヒー用のミルでは、エスプレッソに適した細かさに豆を挽くのが難しい。ドリップ用だとミルと呼ばれるものが、エスプレッソ用となるとグラインダーと呼ばれる。名称が変わるだけでなく、価格も上がる。といった知識を本やネットで仕入れていたので、おれにとってエスプレッソへの敷居は高すぎると考えていた。
 ところが、スターバックスが高価なマシンを気前よくプレゼントしてくれた。手持ちのミルーナイスカットミルーの目盛りをいちばん左の極細に合わせて挽いてみたら、そこそこ行けそうな細かさになった。










 新品のショットグラスではなく、手持ちのデミタスカップに2杯ぶんを抽出した。理由はふたつ。1杯だと物足りなくなりそうだったこと、そして、なんとなく2杯ぶん抽出したほうがおいしくなりそうな気がしたこと。欲張りと勘。根拠はない。









 マシンの横っ腹には15周年を記念するプレートがある。そう、これは非売品の特別なエスプレッソマシンなのである。

 家庭用とはいえ、エスプレッソマシンはけっこう大きい。ふつうなら置き場所に頭を悩ませるところだ。しかしおれの部屋にはちょうどよいスペースがぽかんと開いていた。まるでマシンが来るのを待っていたかのように。設置してみると、ごく自然な佇まいに映るじゃないか。

 エスプレッソマシンは、じつは初めてではない。いまから10年よりも昔、発売と同時にネスプレッソというマシンを衝動買いして、けっこう気に入ってつかっていたのだ。粉の詰められたカプセルを通販で買うシステムだったので、割高な反面グラインダーが不要で、マシンのメンテナンスも楽だった。
 「家でエスプレッソが飲めるだけで気持ちが豊かになるもんだ」なんて思いながら愛用していたが、その後の「いろいろありすぎた出来事」のなかで、ネスプレッソもまた悲しみのリマインダーとなっていった。
 カプセルを新しく注文しなくなってからも、未練がましく本体だけを持ち続けていたが、5年ほどまえに処分した。またいつか家でエスプレッソを楽しめる日が来るかなあ、なんて思いながら。

 その日が唐突にやってきたわけだ。ありがとうスターバックス。ありがとうコーヒーの日。
 正直なところ、"豊かな気持ち"の準備は整っていなかった。しかし狭い部屋の中にマシンの設置場所が空いてたくらいだから、無意識のうちに準備を始めていたのかもしれない。

 エスプレッソとの新しい豊かな関係、始めさせていただきます。
 もういちど、ありがとう。

 (追記)
 コーヒーの日ってことで、エスプレッソ用の道具を置く場所を整えた。100円ショップでカゴと仕切り板を見繕い、道具を納めてみた。うん、いい感じ。
 これまた100円ショップで買った袱紗でカゴごとくるんで、エスプレッソマシンの下に置いてみる。グー。







9杯め コーヒーを家でおいしく飲むための2つの方法


 コーヒーは農作物だから、その品質は栽培地の環境や収穫時期、生豆の選別・乾燥のための処理方法などに左右される。
 生豆がカップを満たすコーヒーとなるには、さらに焙煎、保管、粉砕、抽出と、じつに多くの関所を通る必要がある。とくに焙煎という、コーヒーならではのプロセスが一般人にも開放されている点が、コーヒーを楽しくし、難しくもしている。

 「コーヒーをおいしい、まずいで語る時代は終わった。コーヒーは良い、悪いで語るべきだ」なんて意見もあるし、ふたりの高名な専門家が抽出時の豆の温度について、たった1度の差を巡って激論を交わしたこともあるという。
 とにかく、コーヒーは複雑であり、その複雑さのぶんだけ楽しい。興味のない人にとってはどうでもよい問題が、知れば知るほど、掘れば掘るほど出てくるのがコーヒーの世界だ。余人の目にはガラクタにしか見えないかもしれないけど、膏にも肓にも病が染みついてしまった当人たちにとっては宝の山である。

 コーヒーの専門家ではないおれも、できれば家でもおいしいコーヒーを飲みたいと思っている。いろいろ試してもみた。結果、誰にでも簡単にできることが2つあると気づいた。

 今回はその方法について書く。おっと、コーヒーに詳しい人は、ここから先は読まなくていいよ。「その程度のことか、常識だろう」とがっかりするだけだから。

 では。
 方法その1は、「飲む直前に豆を挽く」だ。
 この方法を実践するためには、コーヒーを豆の状態で買う必要がある。店の人はたいてい「挽きますか?」と聞いてくれるし、通販のショップでも挽き加減が選べるようになっている。よほどの変人でもないかぎり「うちは豆の状態でしか売りません」とは言わないはずだ。「ネルでドリップする人にしか売りません」って人なら実際にいるけどね。
 挽いてもらったばかりのコーヒー粉が入った紙袋は、じつによい香りがする。幸せの香り、と言ってもいい。でも、香りがするってことは、豆から香りが逃げてるということでもあるのだ。

 飲む直前に豆を挽く。それを実現するためにはミルという道具が必要になる。ミルの種類についても、また、ミルによる引き具合いについても、諸説が飛び交っているが、とにかく「飲む直前に挽く」ことに関しては、異論を唱える人を見たことがない。ファイナルアンサーと言ってよいだろう。

 おれが最初に買ったミルは、メリタの電動ミルだった。通販で豆とのセットになっているものをかなり安く買った。いま調べたら『セレクトグラインド MJ-518』という製品で、実売価格は2000円台のようだ。
 電動式で、内部のプロペラ状の刃が回転して豆を粉砕する仕組み。歯は円運動をするから、中心に近い部分と外側ではカットの具合いも変わってくる。粉を粗挽きにするときは短時間、細かくしたいときは長時間挽くという、なかなか原始的なミルである。挽き具合いができるだけバラけないように、本体ごと両手で持ってシェイカーのように振ってみたりもした。




 プロペラ式は電動ミルとしてはもっともシンプルな機構だし、値段も安い。欠点を挙げつらって「あんなのダメだ」というコーヒーマニアも多いが、おれはいいと思うよ、これで。
 すくなくとも「飲む直前に挽く」という大原則だけは守れるようになるから、プロペラ式のミルであっても、あるとないとじゃ大違いだと考えている。

 プロペラ式をしばらく使っているうちに、ちょっとステップアップしたくなって買ったのがカリタのナイスカットミルという製品だ。




 メリタのセレクトグラインドはプロペラ式だったが、このナイスカットミルはカット式という機構だ。挽き目がダイヤルでカチンカチンと調節できるから、本体をシェイクする必要はない。そもそも据え置き型なのでシェイクするようにできていない。実売価格は2万円弱といったところ。刃の掃除の際には分解する必要があるが、10円玉が1枚あればけっこう簡単。ただし小さなバネがあるので、なくさないように注意することだけがポイントだ。

 ただ、プロペラ式と比べて安定しているとはいえ、おれには「まだちょっとムラがあるかな」と思えたので、コンセントとナイスカットミルの間に調光器を挟んで、パワーを7割ほどの落として(=回転数を落とす)つかっている。
 こいつの欠点は、豆を挽いているときに粉末が飛散すること。飛び散った微粉を掃除するためにブラシと静電気式の小さなほうきをつかっている。

 家庭用のミルには、ほかにも伝統的な手回し式のものがある。おれも1台持っているが、挽き目の調整がめんどうなので(できないわけではない)、観賞用になってしまっている。
 もうひとつ、フジローヤルというコーヒー関係では有名なメーカーが『みるっこ』という電動ミルを販売している。こちらはグラインド式(臼式)という方式で、実売価格は3万円前後。サイズもナイスカットミルより大きい。家庭用の電動コーヒーみるではみるっこが最高峰、とも言われるが、業務用には桁のちがう製品がたくさんあるので(70万円なんてのもある)、ここから先はマニアの世界だと思う。

 とりあえず、おれはナイスカットミルで満足している。

 コーヒーを家でおいしく飲むための方法、2つ目。こっちは安いぞ。
 その方法とは、『シリコーン置くだけラップ蓋』をつかうことだ。1枚100円、ダイソーで売られている商品だ。

 好みにもよるだろうが、おれは冷めたコーヒーがあまり好きではない。
 「いや、冷める過程こそがコーヒーなんだよ」とか「冷めたらまずくなるようでは本物のコーヒーではない」と言う人には、このラップ蓋は不要だ。これは、コーヒーを冷めにくくするための道具なのである。

 コーヒーを冷まさないなめに、おれなりにいろいろ工夫をしてきた。
 まず、カップは真空層のある保温性の高い二重構造のものをつかう。おれがコーヒーを飲むときにつかうのは、金属製のマグカップのときでも、ガラス製のグラスのときでも、「冷めにくいやつ」だ。構造上、カップの縁が厚くなってしまうから、唇の感覚はお世辞にもよいとは言えない。でも、それを犠牲にしてでも、おれは冷めにくいコーヒーが飲みたい。

 保温カップをつかえば、ふつうのカップと比べて中の液体の温度は下がりにくくなるが、それでも上部から湯気とともに温度と香りが抜けてゆく。なんとかしたいと思って最初に試したのが陶器製の『マグカップの蓋』。
 高名な喫茶店で、客がトイレなどで席を立つと、コーヒーが冷めないようにカップにさりげなく蓋をしてくれるところがある。そのマネをしたわけだ。しかし、陶器は割れるのである。喫茶店であれば、こちらにもいくらかの緊張感があるので、蓋を落としてしまうようなことはない。しかし自室で毎日何杯も飲むうちに、蓋を落としてしまうこともある。運が悪ければ陶器の蓋は割れる。おれは3枚目の蓋を割ったときにようやく、この方法は自分には無理だと悟ったのだった。

 つぎに試したのは電気式のウォーマーである。サーバーやカップの底面を直接加熱する道具だ。短い時間であれば、この方法は有効だと思う。しかしコーヒーサーバーを長時間加熱し続けると、なかのコーヒーは確実にまずくなってゆく。ひと昔まえのファミリーレストランのコーヒーを思い出す味になる。サーバーの中で煮詰められた、独特のまずいコーヒー。たまには「あのまずさ」を懐かしく思い出すこともあるが、毎日実感したいほどではない。
 おれが愛用している電気式のコーヒードリッパーには最初からサーバーを温めるためのウォーマーが組み込まれているが、コーヒーを淹れるたびに「余計な機能をつけやがって」と苦々しく思っている。おれにとって「加熱はコーヒーの大敵」なのである。そのコーヒードリッパーを毎日のようにつかっているが、ウォーマーの部分にはコルクのコースターを置いて、サーバーに熱が伝わらないようにしている。

 そして、ついに出会ったのがシリコーン置くだけ蓋。こいつをカップにのせて、まんなかのポッチを軽く押すだけで密着してくれる。その密着力はたいしたもので、ポッチをつまんでカップごと持ち上げても蓋がはずれないほど。おれが使っている金属製の保温マグカップにコーヒーを入れると合わせて600グラムほどになるが、それでも楽々と持ち上げることができた。何度もやると悲惨な事態を招くから、もうやらないけど。




 こいつをつかったときの保温力はかなりのもので、つねに熱いコーヒーを楽しむことができる。「淹れたときより熱いんじゃないの?」と思うことすらあるが、それはカップ内の空間にある湯気のせいだと思う。シリコン製なので、ぞんざいに扱っても割れることはない。唯一の難点は「見た目がねえ……」だが、ひとりで飲むぶんには気にならないし、客人には「おもしろい道具を紹介する」ということで相殺してもらえる程度のことだと思う。
 あ、ふつうのカップなら蓋のサイズはSで十分ですよ。




 以上、ミルとシリコン蓋。
 とりあえず、この2つがあれば、自宅のコーヒーはおいしくなる。と思う。