喫茶ナゾベーム

金のかからぬ道楽の日々

15杯め 水槽の底から見上げる


 一昨年、2009年の2月に退院したときの体力の衰えは、自分が思っていた以上のものだった。
 入院中のリハビリのおかげで「なんとか社会に戻してやってもよい」ところまで回復させてもらったから退院できたわけだが、"ふつうの"生活ができる水準にはまだまだ達していなかったのだ。事実、ひとりで電車に乗って1駅ぶんの移動ができるようになるまでに、退院してから1ヵ月以上の時間と準備が必要だった。

 歩いたり重いものを運ぶ体力だけでなく、気力もだいぶ衰えていた。RPGでいえばMPの底が尽きかけた状態で、ケアルやホイミが一回唱えられるかどうか、といったところだ。

 当時のおれの生活はRPGと密着していた。あるオンラインRPGを半分趣味、半分仕事でプレイしていたからだ。
 元気なときには意識しないものだが、ゲームで遊ぶにもけっこうな体力をつかう。画面のそこここに開くウインドーの情報を一瞬で読み取り、コントローラーで自分のキャラクターを操作し、同時にキーボードでチャットをする。
 病み上がりのおれにとっては、オンラインRPGのプレイ画面を流れる情報の量が多すぎて、すぐに溺れそうになった。ほんの数分プレイしただけで、「こりゃ当分だめだわ」とコントローラーを置いた。


 実生活のリハビリと並行して、ゲームのリハビリもしなきゃな。そう考えて手をつけたのが『ハッピーアクアリム』だった。本家は製品版として売られているが、おれが出会ったのはミクシィの無料アプリ版だ。ゲームと呼ぶよりは環境ソフトに近い。水槽で熱帯魚を飼育する、ただそれだけ。プレイヤーがすることといえば、水槽の掃除と魚のペアリングくらいで、反射神経はほとんど要らない。

 システムもグラフィックも、けっしておれの好みじゃない。全体的にぬるすぎるのだ。リアルさを追求しようなどといった姿勢はどこにもなく、水槽の中にはネオンテトラと同じ大きさの白熊が泳いでいたりする。






 唯一、ほんのすこしばかりのマウス操作が必要になるのが、トレーニングという名のミニゲームだ。これにしたって、ぬるいことに変わりはなく、強制横スクロールの画面で、進行方向から現れる障害物をクリックしてかわすだけのもの。自分の魚の移動すらシステム任せだから、作業や手続きと呼んでしまってもよいほど単調なものだ。これと比べたら『スーパーマリオブラザーズ』のステージ1-1のほうが32倍は難しい。

 このぬるさ、ゆるさが、当時のおれにはちょうどよかった。

 水槽の中の熱帯魚を見ながら思い出すのは、病院生活の初期のことだった。集中治療室で手足をベッドにしばりつけられてじっと寝ているだけの日々。右と左の手に合わせて3本、さらに両脚の付け根にもは点滴チューブ。鼻と口には酸素の管。胸には心臓の動きを監視するためのセンサーが取り付けられていた。尿管にもカテーテル。寝返りを打ったりしないように、足首は軽くベッドにくくりつけられている。人間タコ足配線だ。自分の意思でできることなど何もなかった。仰向けで、うす暗い天井をただ見ていた。

 食事も水分も点滴で補給されていたから、ナースコールの必要もない。24時間体制でカメラを通して監視されながら、ただ寝ているだけの日々。首すらも固定されていたから、視界に入るのは薄暗い天井だけだった。

 自分が軟体動物にでもなって、プールの底から水面越しに何かを見ようとしている。海ではなくプール、それも室内プールだ。もし見えたとしても、水面の向こうには病院の天井があるだけで、太陽などないのだから。そんな感覚とともに、時間がゆっくりと過ぎていくのを待っていた。

 『ハッピーアクアリム』の魚にエサをやっていると、自分が水底のタニシではなく、水槽を外側から見られる立場になったことが実感できた。魚はずっと水槽の中だが、自分はその気になれば太陽の下に行くことができる。ただそれだけのことが、大きな自由のように感じられた。


 翌年、このゲームはおれにとってさらに重要な存在になった。
 こんどは脳梗塞だ。ほんとうにおれはついていて、後遺症がほとんど残らなかった。ただひとつ、視野の4分の1が欠損した。眼球や視神経ではなく、脳の障害による欠損なのでもう治らないと言われた。

 人体とはじつによくできたもので、コンピューターで検査をすればおれの視野は左右ともにきれいに4分の1が欠けている。時計でいえば12時から3時までの90度ぶん。それならおれが見ている世界も4分の1が黒く塗りつぶされていそうなものだが、事実はそうじゃない。「『ちゃんと見えている』」ように見える」のである。おそらく脳がめまぐるしいスピードで働いて、周囲の情報を収集・分析し、あたかも視野が欠損していないかのような映像を見せてくれるのだ。これはこれでとてもありがたいことだ。しかし、本当は見えていないのに見えた気になることは、大きな危険や事故の呼び水になりかねない。

 おれの視野は欠けている。そのことを忘れないため、つねに自覚して行動するために役だったのが『ハッピーアクアリム』だった。右にむかってスクロールするトレーニングの画面が、格好の"指摘者"になってくれた。

 それまでだったら頬杖をつきながら楽にクリアできていたこのミニゲームが、おれにとってはどえらく難しいアクションゲームに化けた。作業から真剣勝負への格上げだ。眼の焦点を自分が操作する魚に合わせると、右側から迫ってくる障害物がまったく見えなくなる。本当は右から徐々に近づいてくるはずのものが、死角のトンネルをワープするように、突如として魚の前に出現するのだ。不思議というか、精妙というか、背景はずっと見えている。右から迫ってくる障害物だけが消えていて、突如として自分の魚の隣に出現するのだ。

 これをどうにかするためには、視点をめまぐるしく移動させる必要がある。視野の中心なら見える。右側は見えない。ならば全部が中心になるよう、視点をつねに移動し続ければいい。こんなことは病院の眼科では教われない。ゲームだからこそ教えられるもの、がたしかにあるのだ。



 こうして『ハッピーアクアリム』はおれにとって不可欠な道具となった。視点移動の練習ツールとして。そして「おまえの視野は欠けてるんだぞ」と繰り返し教えてくれる警告者として。


 その『ハッピーアクアリム』のサービスが9月いっぱいで終了した。
 最終日は事前に予告されていたので、すべての熱帯魚を海に放流しておしまいにしようと考えていたのだが、このささやかな計画は実現きなかった。おれはサービス終了の時刻を30日の23時59分だろうと思い込んでいたのだが、どうやら終了の処理は日中に行われてしまったようで、ログインを試みたときにはゲームじたいがメニューから消えていた。じつにあっけない幕切れだった。


 『ハッピーアクアリム』には製品版も存在するから、続けようと思えば続けることができる。もちろん、1匹めの魚を育てるところからやり直すことになるが。
 でも、おれにとっての『ハッピーアクアリム』はもう終わったのだ。


 欠損した視野への対処法は覚えさせてやった。そろそろ次のステージに進んだらどうなんだ? と、眩しい場所から誰かが言っているような気がする。